日本に来日したL.モリス騎手は上手い? モリス騎手の特徴を考察

前回はA.ルメートル騎手について解説しました。

今回は短期免許で来日したL(ルーク).モリス騎手(以下、モリス騎手)について解説したいと思いますが、その前に【短期騎手免許】がどういったものか気になる方も多いかもしれません。

そこで、当記事ではモリス騎手の紹介とともに、短期騎手免許についても解説していきます。

この記事で分かること
  • 短期騎手免許について分かります。
  • L.モリス騎手の生年月日や経歴が分かります。
  • L.モリス騎手の海外における主な活躍が分かります。
  • L.モリス騎手の日本における実績が分かります。

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目次

短期騎手免許とは?

短期騎手免許とは、文字通り騎手免許の1つですが、その定義は「騎手みずからが所属しない競馬施行体が主催する競馬の競走に騎乗するために取得する、短期間(1か月単位)の有効期間をもつ騎手免許のこと(Wikipediaより抜粋)」とされています。

要するに日本国外の競馬団体に所属している騎手が、競走馬や招待以外で日本国内のレースに騎乗する場合、日本中央競馬会が認めた者しか騎乗できないということになります。

そのため、騎乗するには免許が必要となります。

なお、短期騎手免許は、通常の騎手免許試験とは別の臨時試験があって、それに合格したものに限ります。また、短期騎手免許は1か月単位、1年間で最大3か月です

さらには、中央競馬の内規により同時期に短期騎手免許を発行できるのは5人までと決まっています。

この制度は1994年にスタートし、中央競馬ではニュージーランドの女性騎手であるL(リサ).クロップ騎手が第1号となりました。

その後、有馬記念(G1)3連覇を達成したフランスのO(オリビエ).ペリエ騎手や通年免許所得前に短期騎手免許で来日し、外国人騎手として初めて日本ダービーを制したイタリアのM(ミルコ).デムーロ騎手など、世界のトップジョッキーらも参戦するようになり、今も多くの海外ジョッキーが来日を希望しているようです。

日本競馬の発展に大きく影響し、現在、世界レベルで戦えるようになった1つのキッカケになったといえるでしょう。

少し余談となりましたが、先に短期騎手免許の豆知識としてご紹介させていただきました。

ここからは本題であるモリス騎手をご紹介します。

実績だけではなく「イギリスで最も忙しい騎手」としても有名なモリス騎手とは、いったいどのような騎手なのでしょうか。

L.モリス騎手とは?

基本情報
  • 国籍    イギリス
  • 出身地   イングランド・オックスフォード
  • 生年月日  1988年10月20日
  • 身長    168cm
  • 体重    53kg

モリス騎手は、1988年10月20日にイギリスで生まれ、2024年時点で35歳の中堅騎手です。日本人騎手でいえば浜中俊騎手や藤岡康太騎手と同世代になりますね。

身長は168センチメートル、体重53kgと前回ご紹介したルメートル騎手とほぼ同じです。

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そんなモリス騎手は、祖父、叔父、従兄が騎手である競馬一家で育ち、イギリスの競馬学校を卒業後、マイケル・ベル厩舎で見習い騎手として訓練を受け、2005年に騎手免許を取得しました。

デビュー後は少しずつ実力を付け、2010年6月に重賞初制覇を記録すると同年10月に行われたアベイ・ド・ロンシャン賞(仏G1)でギルトエッジガールを勝利に導き、G1初制覇を成し遂げました。

なお、この時の同レースは史上最多となる21頭が出走していました。そんな多頭数となった競馬でしっかりと結果を残せるモリス騎手にとっては、海外競馬よりも比較的頭数が多い日本の競馬ではプラスになるかも知れません。

ちなみにアベイ・ド・ロンシャン賞といえば、1998年にシーキングザパールが勝利したモーリス・ド・ゲスト賞(仏G1)と並ぶフランス短距離路線の最高峰レースとして位置付けされている格式高いレースの1つです。

また、1999年にアグネスワールド、2001年にはフランスのインペリアルビューティーで日本が誇るレジェンド・武豊騎手が制していることでも知られています。

晴れてG1ジョッキーとなったモリス騎手は、さらなる飛躍のため2012年からイギリスの名門マーク・ブレスコット厩舎に所属し、主戦騎手として2015年及び2016年にはリーディング5位の成績を残しました。

ちなみに、モリス騎手は2024年1月に来日した5名のジョッキーの中で唯一初来日ではなく、短期騎手免許としての初来日は2度目です。

初来日は2023年12月9日〜12月31日でした。

身元引受人は栗東の名トレーナー・友道康夫調教師で契約馬主は吉田和美氏です。

これまでの実績や主な勝鞍は?

近年の成績を見ますと、2021年には59勝を挙げイギリスでの騎手リーディング15位に入り、2022年は52勝でリーディング26位、2023年には39勝でリーディングは36位とキャリアハイとなる2015年及び2016年にはリーディング5位と比較すれば、少しずつ成績が低迷しているようです。

※記録は、JRAのホームページより

ただ、モリス騎手の凄いところは、2010年から現在まで年間総騎乗回数が1,000回を超えていることです。

これは、2023年に史上最速で12,000回騎乗を達成した松山弘平騎手と比べてみると、2023年の松山騎手の騎乗数が901回ですので、年間1,000回以上を騎乗していることの凄さが分かります。

イギリスで最も忙しい騎手”と知られているのも納得ですね。

さらにモリス騎手が、世界のトップジョッキーの仲間入りとなったのは、世界的大種牡馬フランケルを父に持つ名牝アルピニスタの存在が大きいです。

アルピニスタは、2021年7月のランカシャーオークス(英G3)を皮切りに同年8月のベルリン大賞(独G1)から翌年の凱旋門賞(仏G1)まで7連勝をしました。その7連勝のうちG1を6連勝したことは、世界の競馬ファンの中でも大きな話題となりましたね。

そんな世界的名牝アルピニスタの全15戦に騎乗したのがモリス騎手です。

特に日本馬が多頭数参戦した2022年の凱旋門賞では、先行するタイトルホルダーの後ろにピッタリとマークする形で最後の直線に入っても決して焦らず、絶妙のタイミングで追い出しを掛けた騎乗スタイルを見れば、とても大舞台に強い騎手といえるのではないでしょうか。

なお、アルピニスタは凱旋門賞を終え、次走にジャパンカップ(G1)を予定にしていましたが調教中に軽い怪我を負ってしまい、結果的には出走が叶わず凱旋門賞が最後のレースとなりました。

もし出走していたらモリス騎手はその時が初来日となっていたかも知れません。

そんなモリス騎手は、これまで世界最高峰レベルのG1を9勝という実績を引っ提げて今回、2度目の短期騎手免許での来日となっています。

日本での実績は?

前述しました通り、モリス騎手は2023年の12月9日から中央競馬に騎乗し、翌10日には2022年のセレクト1歳セールにて3億円の値が付いたストーンズ(牡3)を2歳新馬戦で勝利に導き、JRA初勝利を記録しています。

ただし、2023年シーズンではその1勝のみに終わり日本での成績は49戦1勝と不本意な結果に終わりました。

また、今年に入っても1月14日の時点で31戦0勝2着2回、3着1回と勝ち星から遠ざかっています。ここまでのレースを見ますと、母国イギリスと日本競馬の違いに戸惑っている感じもしますが、競馬の本場イギリスで毎年1,000回以上も騎乗するモリス騎手です。

その騎乗スタイルは、身長を生かした長いリーチから馬を最後まで追えること、さらにレース運びについては冷静沈着という印象がありますし、大舞台を多く経験している点も強みです。

日本の競馬に慣れ始めたら、頻繁に馬券圏内へ顔を出す存在になる可能性は高いかも知れません。

突然の帰国

ところが、1月24日付で「一身上の都合」により、免許の取り消しが本人からの申請で行われたのです。

本人からの申請により、ルーク・モリス騎手の騎手免許を1月24日(水曜)付けで取り消しましたのでお知らせします。
JRA 騎手免許取消し(ルーク・モリス騎手)

突如の出来事に加え、帰国後にモリス騎手が残した「I couldn’t turn geese into swans」という言葉も話題になりました。

この言葉を訳すと「ガチョウを白鳥に変えられない」、つまり、能力のない馬では勝てないという意味になりますが、実際のところは慣用句で「良いところを引き出せなかった」という意味になります。

欧米で活躍していたモリス騎手でしたが、2024年は日本で1勝もできなかったこと、そして20日の京都5レースで斜行したことで騎乗停止処分となったことが悔しかったのかもしれません。

急なタイミングでの帰国に、競馬メディアやSNSでも一時話題になったのです。

なお、モリス騎手は前述したようにすでに帰国しており、1月30日の時点で母国イギリスで競馬を行っています。

まとめ

今回は、イギリスのトップジョッキー、モリス騎手についてお伝えしました。

モリス騎手の栄誉のためにエピソードをひとつ付け加えておくと、昨年冬の来日の時点でモリス騎手の元に香港ジョッキークラブからも短期騎手免許の話が出ていたそうです。

しかし、2023年夏に札幌で開催されたワールドオールスタージョッキーズに参加し、日本の施設の素晴らしさを大絶賛し、日本で短期免許を取得することを選びました。

それだけに2024年は活躍できずに帰国したのが悔やまれますが、本人が一番悔しい思いをしたのではないでしょうか。

しかしながら、海外騎手でも勝つのが容易ではない日本競馬のレベルの高さを認識させられました。

モリス騎手は帰国してしまいましたが、今後の活躍にも注目したいですね。

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