R.ムーア騎手は上手い?来日時の成績や日本の評価を紹介

これまで競馬の世界において世界的名手といえば、古くは武豊騎手の憧れだったといわれているL(レスター).ピゴット騎手やL(ランフランコ).デットーリ騎手などが挙げられるでしょう。

そして現在の世界的名手と聞けば、多くの人がR.(ライアン)ムーア騎手(以下ムーア騎手)を挙げると思います。

それだけムーア騎手の活躍は日本のみならず、世界の競馬ファンが知るところであり、出馬表にムーア騎手の名前があればとりあえずムーア騎手から馬券を買っていれば的中するといわれるほどの騎手です。

そこで今回は、ムーア騎手について、紹介したいと思います。

日本の若手騎手にお手本とされているムーア騎手。その世界的名手の生い立ちから実績などをお伝えしますので、ぜひ最後までご高覧ください。

この記事で分かること
  • ムーア騎手の基本的な生い立ち
  • ムーア騎手の成績や勝ち鞍
  • ムーア騎手の日本での成績

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目次

R.ムーア騎手とは?

ムーア騎手は、1983年9月18日イギリス生まれの現在41歳。身長166センチ、体重は54キロと発表されています。

調教師で元障害騎手だった父ゲイリー・ムーア氏、さらに兄弟も障害騎手のジェイミー・ムーア騎手とジョシュア・ムーア騎手、トップアマチュア騎手のヘイリー・ムーア騎手という家系で育ちました。

なお、祖父チャーリー・ムーア氏も元調教師とあって、親子3代に渡る競馬一家なんですね。

ちなみに祖父のチャーリー氏には中古車販売員といった肩書きもあり、その二重キャリアには、トラックのタイヤ3本と牝馬を交換したことや、某オークションにて誤って手を挙げてしまいその馬を購入し調教したことなど、多くの逸話があるそうです。

そんな競馬一家で育ったムーア騎手は4歳で乗馬を始め、祖父やポニークラブでレッスンを受けました。しかし、クロスカントリーや障害飛越競技に興味がなく、競技レースに対しても「ちょっと地味」だと感じていたそうです。

そして、幼い頃からレースに出場したいと思っていた兄弟たちとは違い、ムーア騎手にとっては競馬にそこまで情熱があったわけではなく、地元のサッカークラブのトライアルを受けるほどサッカーに対する情熱の方がありました。

しかし2000年には、イギリスで騎手免許を取得し、障害騎手として父親が管理する競走馬に騎乗すると、初騎乗初勝利を成し遂げました。このあたりから世界を代表する名騎手の片鱗を見せていたのかも知れません。

なお、今回の短期騎手免許来日期間は、2024年11月9日から12月23日までの約1か月半、身元引受人は、美浦の堀宣行調教師、契約馬主は、吉田和美氏となっています。

R.ムーア騎手のこれまでの成績や主なG1勝利数は?

続いてムーア騎手の実績や主な勝ち鞍を見ていきますが、先述の通り2000年5月18日に障害騎手としてデビューすると、父親の管理馬だったマーシービートで初騎乗初勝利を果たしました。あのムーア騎手が障害騎手でデビューしたことは少し驚きです。

それから約1年半後の2002年1月に平地レースで初勝利を挙げると、翌2003年には39勝を挙げて最優秀見習い騎手に輝きました。

また2004年には、京王杯スプリングカップ(G2)でフィートソーファストに騎乗するため、初来日。結果は8番人気ながら3着とムーア騎手の実力を日本の競馬ファンに対して存分に見せ付け、またその年は、イギリスで132勝を挙げ年間リーディングにおいて第5位になるなど、徐々にその実力が発揮されていきます。

そして翌2006年のインターナショナルステークス(英G1)において、ノットナウケイトに騎乗し優勝。これがムーア騎手にとってG1初勝利となり、さらに年間182勝をマークしイギリスのリーディングジョッキーに輝きました。

なお、当時23歳でのリーディングジョッキー獲得は史上2番目の若さでした。

その後2008年には2回目のイギリスリーディングを獲得すると、翌2009年のキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス(英G1)をコンデュイットで制し、この年もイギリスリーディングを獲得。

さらに翌2010年には、イギリスダービー(英G1)をワークフォースで勝利し、ダービージョッキーの仲間入り。その勢いのまま同馬とのコンビで凱旋門賞(仏G1)も制したことで一気に世界的名手への階段を駆け上ります

そしてムーア騎手の転機となったのが、2015年にエイダン・オブライエン厩舎と主戦騎手契約を結んだことです。

そこからの活躍は挙げればきりがなく、特にオブライエン厩舎との主戦契約となった初年度は、史上6人目となる同一年の両ギニー(英2000ギニー、英1000ギニー)の制覇やブリーダーズカップ・ターフ(米G1)をファウンドで、またブリーダーズカップ・ジュヴェナイルターフ(米G1)をヒットイットアボムで勝利し、シューメーカー賞の栄誉に輝くなど、イギリスに限らず、アメリカや香港、オーストラリア、日本といった様々な拠点において、G1というビックレースを勝ちまくります。

その活躍が認められ、ロンジンワールドベストジョッキーに2014年、2016年、2021年の3度選出されました。

また、2024年8月に行われたモルニ賞(仏G1)をホイッスルジャケットで制し、G1通算200勝を達成。この時点において、国別のG1勝利数をみますと、イギリス(82勝)、アイルランド(33勝)、フランス(25勝)、アメリカ(22勝)、香港(12勝)、日本(9勝)、UAE(6勝)、オーストラリア(5勝)、カナダ(4勝)、ドイツ(1勝)とイタリア(1勝)と、まさに世界的名手に他ならない活躍といえるでしょう。

R.ムーア騎手の日本での成績は?

初来日となったのは、先述の通り2004年の京王杯スプリングカップです。その後、2009年に行われた第23回ワールドスーパージョッキーズシリーズにて日本で初勝利を飾ると、翌2010年のエリザベス女王杯(G1)をスノーフェアリーで制し、日本での重賞初勝利をG1レースで成し遂げました。

さらに翌週のマイルチャンピオンシップ(G1)では、キンシャサノキセキに騎乗するため、初めてJRAの短期騎手免許を取得し、第24回ワールドスーパージョッキーズシリーズで初優勝を果たします。

翌2011年には、エリザベス女王杯をスノーフェアリーで連覇を達成。1頭の海外所属馬が日本の平地G1を2勝したのはこれが初めてとなりました。また、この年も短期騎手免許を取得し、武蔵野ステークス(G3)をイジゲンで勝利し、日本馬に騎乗しての重賞初勝利を果たします。

そして、2013年の短期騎手免許取得によりジャパンカップ(G1)でジェンティルドンナに騎乗し、日本競馬史上初の同一馬によるジャパンカップ連覇の偉業を成し遂げました。

さらに翌2014年3月に行われたドバイシーマクラシック(首G1)でジェンティルドンナを勝利に導くなど、JRAでの短期免許取得は、毎年11月から12月の時期にかけて取得することが恒例となっています。

世界的名手が毎年のように日本で騎乗してくれることは、本当に嬉しいですね。

なお、ムーア騎手の2023年までの日本競馬での通算成績は、754戦143勝(うち重賞17勝)で勝率19.0%、連対率33.3%、複勝率42.8%と非常に高いアベレージを残しています。

また、今回の来日からの2日間では、東京と京都で計13鞍に騎乗し、2勝、3着1回の成績は、さすがといったところでしょうか。

来日してしばらくは結果を重賞でも結果を残していませんでしたが、2024年のチャンピオンズカップでは9番人気のドゥラエレーデに騎乗して3着入りしているように、上位争いに期待できる騎手といえるでしょう。

R.ムーア騎手のまとめ

今回は、ムーア騎手について紹介しました。

ムーア騎手のような世界的名手が、毎年のように来日してくれることは、日本競馬にとっても大きくプラスになっていると思います。

また、馬券を購入する競馬ファンにとってもムーア騎手は”信頼の一択”ではないでしょうか。

いずれにしましても、ムーア騎手が来日している間の秋競馬が、益々面白くなることは、間違いありませんよね。

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