京都競馬場を象徴する存在として、長く語り継がれてきたのが「淀の坂」です。
菊花賞をはじめとした長距離レースでは、この坂をどう越えるかが勝敗を分ける重要な要素とされてきました。
かつては「ゆっくり上り、ゆっくり下るのが鉄則」といわれ、坂で動くことはタブーと考えられていた時代もあります。
しかし近年の競馬では、淀の坂に対する考え方が大きく変わりました。
下り坂の慣性を活かしてペースを引き上げ、そのまま押し切る戦法が主流となりつつあります。
それでも、3,000m級の菊花賞では、折り合いを乱さずスタミナを温存できるかどうかが、今なお重要なポイントです。
本記事では、淀の坂とは何かという基本から、その高低差や構造、タブー視されてきた理由、そして名馬たちがどのようにこの坂を乗り越えてきたのかまで、時代の変化を踏まえながら丁寧に解説していきます。
淀の坂とは何か
淀の坂とは、京都競馬場の芝コースに設けられた特徴的な起伏のことで、向正面から3コーナーにかけて続く緩やかな上り坂を指します。
直線の急坂とは異なり、距離が長く、じわじわとスタミナを削られる点が大きな特徴です。
見た目以上に負荷がかかるため、レースの流れや仕掛けどころに大きな影響を与え、特に菊花賞などの長距離戦では勝敗を左右する重要なポイントとして知られています。
淀の坂の意味と定義
淀の坂の意味とは、京都競馬場に存在する単なる高低差ではなく、レースの流れを大きく左右する戦略的なポイントであることを指します。
向正面から続く長い上りによって馬のスタミナや折り合いが試され、ここで無理をすると後半に大きな影響が出ます。
そのため淀の坂は、脚力だけでなく騎手の判断力や馬の精神面まで映し出す場所として定義され、長距離戦において特別な意味を持つ存在とされています。
淀の坂の高低差と構造
淀の坂は、京都競馬場の芝コースにおいて、レース展開に大きな影響を与える独特の構造を持っています。
高低差そのものは極端に大きいわけではありませんが、向正面から3コーナーにかけて長く続くため、馬にかかる負荷は想像以上です。
一気に上り切る坂ではなく、徐々に脚を使わされる点が特徴で、この構造が「ゆっくり上り、ゆっくり下る」といわれてきた理由にもつながっています。
ここからはかつてゆっくり上って下りと言われた理由や現在の競馬スタイルについて紹介します。
なぜ「ゆっくり上り、ゆっくり下る」といわれてきたのか
淀の坂が「ゆっくり上り、ゆっくり下る」といわれてきた理由は、その坂の形状と長距離レースにおける負荷のかかり方にあります。
向正面から続く緩やかな上りは、一気に駆け上がるタイプの坂ではなく、知らないうちにスタミナを削っていく構造です。
そのため、ここで無理にペースを上げると、下りに入った瞬間に勢いが付きすぎ、折り合いを欠いてしまう危険がありました。
かつての菊花賞では、坂で脚を使い切った馬が直線で失速する場面も多く見られました。
この経験則から、淀の坂では仕掛けを我慢し、呼吸を整えながら淡々と走ることが鉄則とされ、「ゆっくり上り、ゆっくり下る」という考え方が定着していったのです。
現在は下り坂の慣性を活かして加速するケースが主流
近年の競馬では、淀の坂に対する考え方が大きく変化しています。
かつて重視されてきた「我慢の坂」という認識から、現在は下り坂の慣性を活かしてスピードを乗せる戦法が主流となりました。
坂を上り切った直後から下りに転じるポイントでは、自然と加速がつくため、ここで前との差を詰めたり、一気に主導権を握ったりするレースが増えています。
特に近年の京都競馬場では、坂の頂上付近からペースが上がる展開が目立ちます。
ただし、勢い任せに動けばよいわけではなく、下りで加速しても最後までスピードを維持できるかどうかが重要です。
淀の坂は今や、耐える場所ではなく、タイミングよく仕掛けるための加速装置として使われるようになっています。
淀の坂はなぜタブー視されるのか
淀の坂は、現在では仕掛けどころとして活用される場面が増えていますが、長い間「動いてはいけない場所」としてタブー視されてきました。
競馬ファンや関係者の間では、坂で動くと失速する、あるいは直線で脚が残らないというイメージが強く語られてきたのです。
こうした認識が生まれた背景には、過去のレース傾向や長距離戦特有の消耗戦が深く関係しています。
ここからは、なぜ淀の坂がタブーとされてきたのか、その理由を時代背景とともに見ていきます。
かつて淀の坂で仕掛けてはいけないといわれた理由
かつて淀の坂で仕掛けてはいけないといわれてきた理由は、坂の形状と長距離戦における消耗の大きさにありました。
向正面から続く緩やかな上りでは、見た目以上にスタミナを奪われやすく、ここで動くと脚を使い切ってしまうケースが多かったのです。
さらに、坂を上り切った直後は下りに転じるため、勢いがつきすぎて折り合いを欠きやすいという問題もありました。
結果として、坂で仕掛けた馬が直線で失速する場面が繰り返され、「淀の坂で動くと負ける」という経験則が広まりました。
こうした背景から、淀の坂は長年にわたり我慢を最優先すべき場所とされ、仕掛けを控えることが常識とされてきたのです。
坂で動くと「負けフラグ」になると考えられていた背景
淀の坂で動くことが「負けフラグ」と考えられていた背景には、過去のレース結果から生まれた強いイメージがあります。
長距離戦では、坂で仕掛けた馬が一時的に先頭へ立っても、直線に入る頃には余力を失い、後続に交わされる場面が多く見られました。
特に菊花賞では、坂で脚を使った馬ほど、最後の直線で失速する傾向がありました。
このため、競馬ファンや関係者の間では、坂で動く=無理をしている証拠、という認識が定着していきます。
こうした積み重ねが、「淀の坂で仕掛けると負ける」という言葉となり、いつしか負けフラグとして語られるようになったのです。
菊花賞と淀の坂の関係
淀の坂と深い関係を持つレースが、3歳馬による最長距離G1である菊花賞です。
3,000mという過酷な条件の中で、淀の坂は単なるコースの一部ではなく、レース全体の流れを左右する分岐点として機能してきました。
かつては我慢が最優先とされてきたこの坂も、近年では下り坂を活かしてペースが上がる場面が増え、役割は大きく変化しています。
ここでは、菊花賞において淀の坂がどのように使われ、勝敗に影響を与えてきたのかを整理していきます。
坂の頂上付近からペースが上がりやすい理由
淀の坂では、坂の頂上付近からペースが上がりやすい傾向があります。
向正面の上りを終えるとコースは下りに転じ、馬は自然とスピードに乗りやすくなります。
この下りの慣性によって、騎手が強く促さなくても加速がつくため、隊列が動きやすくなるのです。
また、坂の頂上付近は3コーナーへ向かう重要な局面でもあり、後方にいる馬は包まれるリスクを避けるために早めに動こうとします。
こうした地形的要因とレース展開上の判断が重なり、淀の坂の頂上付近では自然と全体のペースが引き上げられやすくなっています。
菊花賞は折り合いを乱さないことが最重要ポイント
菊花賞において最も重要なポイントは、いかに折り合いを保てるかです。
3,000mという長距離戦では、わずかな力みや無駄な加速が、後半で大きなスタミナロスにつながります。
特に1周目の淀の坂の下りでは、自然とスピードが乗りやすく、スタンドからの大歓声も加わるため、馬が行きたがる場面になりやすいです。
この局面で折り合いを乱すと、見た目以上に消耗してしまい、直線で踏ん張りが利かなくなります。
菊花賞では、下り坂の勢いに任せすぎず、呼吸を整えながらスタミナを温存できるかどうかが、最後まで走り切れるかを左右する最大のポイントとなります。

淀の坂を乗り越えた名馬たち
淀の坂は、すべての馬にとって等しく立ちはだかる存在ですが、その厳しさを力に変えてきた名馬も存在します。
長い上りで消耗し、下りで折り合いを問われるこの坂は、スタミナや能力だけでなく、精神面の強さまで試す場所です。
数々の名勝負が生まれてきた背景には、淀の坂を理解し、自分のリズムで走り切れた馬の存在がありました。
ここでは、時代を代表する名馬たちが、どのように淀の坂を乗り越えてきたのかを振り返ります。
ライスシャワーと淀の坂
ライスシャワーは1992年の菊花賞、1993年・1995年の天皇賞(春)を制した長距離G1の名馬です。
菊花賞ではミホノブルボンの三冠、天皇賞(春)ではメジロマックイーンの三連覇を、いずれも当時のレコードで阻み「関東の刺客」「黒い」「レコードブレイカー」と呼ばれました。
小柄でもバランスが良く、指示した分だけ走る賢さが武器だったといわれます。
1995年の天皇賞(春)で復活を遂げた直後、出走した宝塚記念で骨折し予後不良となりました。
この宝塚記念は阪神大震災の影響で阪神競馬場が使えず、京都競馬場で代替開催されたレースでもあります。
その最期まで京都で走り抜いたことから、「淀に咲き、淀に愛され、淀に散る」という言葉とともに語り継がれています。
ミスターシービーと淀の坂
ミスターシービーの菊花賞(1983年)は、淀の坂の常識をひっくり返したレースとして語られます。
当時は淀の坂をゆっくり上り、ゆっくり下るのが鉄則とされ、下りで勢いをつけるのは危険だと考えられていました。
ところがミスターシービーは、道中を最後方で進めながら、2周目の3コーナー上り坂あたりで前へ行きたがる素振りを見せます。
吉永正人騎手がそこで手綱を緩めると、先行馬を次々と交わしながら進出しました。
そして本来は我慢すべき最終コーナーの淀の下り坂で、加速しながら先頭に立って押し切ったのです。
この走りは後に、ヒーロー列伝やCMなどでも「タブーを犯した」と表現されました。
坂の下りで先頭に立つ動きが観客のどよめきを呼び、実況でも驚きとともに伝えられたほどです。
結果としてミスターシービーは、スタミナ不安説を覆して菊花賞を制し、19年ぶりのクラシック三冠を完成させました。
ゴールドシップと淀の坂
ゴールドシップは、京都の長距離戦で淀の坂を味方につけた代表格です。
2012年の菊花賞では後方で脚をため、2周目の向正面から進出を開始しました。
そして3コーナーの坂の頂上付近で先頭集団に取りつくと、4コーナーから直線入口では手応え十分のまま先頭に立ち、そのまま押し切っています。
淀の坂の下りで自然にスピードへ乗せ、勢いを途切れさせずに勝ち切った内容でした。
また2015年の天皇賞(春)でも、京都らしい起伏を活かした競馬が印象的です。
スタート後は最後方付近でじっくり構え、2周目の向正面から外を回って少しずつ進出しました。
淀の坂を含む勝負どころでロングスパートをかけ、直線で先頭を捉えて押し切っています。
京都の淀の坂は、我慢だけでなく加速のきっかけにもなることを示した走りといえます。
まとめ:淀の坂とは何だったのか
淀の坂とは、京都競馬場の芝コースにある長い起伏で、レースの流れを変えてしまうほどの影響力を持つ存在です。
高低差は極端ではないものの、向正面からじわじわ脚を使わされる構造のため、見た目以上にスタミナと折り合いが問われます。
かつては「ゆっくり上り、ゆっくり下る」が鉄則とされ、坂で動くと直線で失速するという経験則からタブー視もされてきました。
一方で近年は、下り坂の慣性を活かしてペースが上がる展開が増え、淀の坂は我慢の場所から加速の起点へと役割を変えています。
それでも菊花賞のような3,000m級では、1周目の下りからの折り合いが崩れると最後まで持たないため、結局はリズムを守れる馬が強いです。
ライスシャワーやミスターシービー、ゴールドシップのように、淀の坂を理解し、自分の走りを貫けた馬こそが歴史に残りました。
淀の坂は、時代で攻略法が変わっても、名馬の資質を映し出す試金石であり続けています。

