スポーツの世界では、権威があったり高額な賞金など、注目されている試合等に勝てば一冠、二冠と勲章が与えられることがありますが、それは競馬の世界でも例外ではありません。
毎年約7,000頭もの競走馬が誕生する中で、3歳馬しか出走できない皐月賞・日本ダービー・菊花賞と3つのG1レースをすべて勝った競走馬が『三冠馬』との勲章を手にします。
そんな三冠馬は、これまでの日本競馬史上でわずか8頭しか存在しません。
単純に日本競馬の歴史年数から平均すると、約10年に1度の確率で三冠馬が誕生する計算となり、確率にすると限りなく0%に近い数字です。
そこで今回は、日本競馬史に燦然と輝く三冠馬の8頭をご紹介します。
もちろん、どの三冠馬も”名馬中の名馬”に値しますし、それぞれの時代においてもっとも強かった競走馬たちです。
三冠馬のことを知らない方やすでに知っている方も今一度、三冠馬の凄さについて一緒に振り返りましょう。
【戦前の三冠馬】セントライト(1941年)
※画像はJRAより引用
1941年に日本競馬史上初となる牡馬クラシック三冠馬に輝いたセントライトは、父ダイオライト、母フリツパンシー、母の父がFlamboyantという血統です。
毎年、菊花賞トライアルとして中山競馬場で開催されるセントライト記念(G2)を知っている方は多いと思いますが、まさにレース名の由縁となった競走馬です。
セントライトは、今から約80年以上前に活躍しましたが、その当時は、2連闘、3連闘でレースをすることが当たり前の時代でした。
それはセントライトも例外ではなく、日本ダービーまでに3連闘し、菊花賞では4連闘で臨んだ末、三冠を達成しています。
今では考えられないほどのローテーションですが、それを怪我なくこなしたセントライトには、強さに加え、尋常ではない頑丈さを兼ね備えていたといえそうですね。
【史上初の五冠馬】シンザン(1964年)
※画像はnetkeibaより引用
セントライトの三冠達成から23年後の1964年に戦後初の三冠馬として、昭和の日本競馬の一時代を築きました。
シンザンは、父ヒンドスタン、母がハヤノボリ、母の父はハヤタケという血統で生涯成績は、19戦15勝2着4回と、デビューから引退まで全て連対した『19戦連続連対』記録を保持し、それは現在でも破られていない大記録です。
それほどまでに強かったシンザンに対し、いつしか日本競馬界では”シンザンを超えろ”が長年のテーマになったほどです。
さらには、サラブレッドの平均寿命が25歳前後といわれている中で、それを大きく上回る35歳まで生き抜き、競走馬としての長寿記録も樹立しました。
レースだけではなく、あらゆる面で日本競馬史にその名を残した最強馬だったと思います。
【19年ぶりの三冠馬】ミスターシービー(1983年)
※画像はnetkeibaより引用
”シンザンを超えろ!”とのキャッチフレーズから約20年の時が流れ、1983年の三冠馬に輝いたのが、ミスターシービーです。
どちらかといえば、スタートダッシュが得意ではなかったミスターシービーですが、レースでは後方一気の末脚で他馬をゴボウ抜きする逆転劇で多くのファンを魅了しました。
その弾むようなフットワークでスピードに乗ると最後の直線で豪快に追い込んでくるスタイルは、まさにミスターシービーの代名詞といえるでしょう。
ちなみに天馬と呼ばれた父トウショウボーイと母のシービークインは、同じレースでデビューしていますので、もしかするとこの時からミスターシービーの運命は決まっていたのかも知れません。
【史上初の無敗の三冠馬】シンボリルドルフ(1984年)
※画像はnetkeibaより引用
シンザン以来、19年ぶりに三冠馬となったミスターシービーの翌年に史上初の無敗で三冠馬に輝いたのが、シンボリルドルフです。
父パーソロンと母スイートルナ、母の父スピードシンボリという血統を持つシンボリルドルフは、決して着差を広げるわけでもなく、好位から堂々と抜け出し、絶対に抜かせないというレースっぷりが特徴でした。これは『ルドルフ走法』と呼ばれ、多くのライバル馬を圧倒し続けました。
また、管理した野平祐二調教師に「競馬に絶対はないが、ルドルフには絶対がある」とまでいわせた、その絶対的な強さは40年が経った今でも日本競馬史上最強馬との呼び声が高いのも納得ですね。
【シャドーロールの怪物】ナリタブライアン(1994年)
※画像はnetkeibaより引用
『シャドーロールの怪物』と呼ばれ、シンボリルドルフ以来10年ぶりの三冠馬に輝いたのが、ナリタブライアンです。
父ブライアンズタイム、母はパシフィカス、その父がノーザンダンサーという血統のナリタブライアンを語るうえで絶対に欠かせないのが、その三冠レースで2着馬に付けた着差です。
皐月賞が3馬身半、日本ダービーは5馬身、そして菊花賞は7馬身差と合計15馬身半差。これは、他の三冠馬と比べても桁違いな記録です。
そんなナリタブライアンですが、古馬となってから股関節炎を発症し、あれだけ強かった”暴力的な強さ”を失ってしまいました。
しかし、三冠レースだけに限れば、その着差から”日本歴代最強の三冠馬”といっても過言ではありません。
【28年ぶりの無敗の三冠馬】ディープインパクト(2005年)
※画像はnetkeibaより引用
父は大種牡馬サンデーサイレンスで母はドイツのG1を勝利したウインドインハーヘアという良血馬ディープインパクトは、シンボリルドルフ以来史上2頭目となる無敗の三冠馬になりました。
『日本近代競馬の結晶』といわれるほどの強さを持ち、レースでは『どの馬が勝つのか』ではなく『ディープインパクトがどう勝つのか』と争点になったほどです。
ちなみに2005年の菊花賞を制し三冠達成となった時の単勝は100円の元返しで、約70年以上もの歴史ある日本競馬で単勝100円の元返しの例は過去5回しかありません。
これだけでもディープインパクトの凄さが分かる数字です。
また、ディープインパクトの凄さは競走成績だけではなく、種牡馬としても産駒の勝利数が歴代1位になるなど、全てにおいて日本競馬史上最強馬に値するのではないでしょうか。
【激情の三冠馬】オルフェーヴル(2011年)
※画像はnetkeibaより引用
オルフェーヴルが三冠馬に輝いた2011年は、日本列島が未曾有の大震災に見舞われた年でもありました。
父は大種牡馬ステイゴールド、母がオリエンタルアート、その父メジロマックイーンという、いわゆる”ステマ配合”と呼ばれる血統背景を持ったオルフェーヴルは、デビュー戦で主戦の池添謙一騎手を振り落とし、菊花賞でもレース後に池添騎手を振り落とすといった破天荒な競走馬としても有名です。
また、オルフェーヴルといえば、三冠馬に加え凱旋門賞(仏G1)を2年連続で2着という点において日本競馬史上最強馬に挙げる方も少なくはありません。
そして現在、その産駒たちが世界の大舞台で大活躍していることを考えると、オルフェーヴルもまたディープインパクトと同じく日本が誇る名馬の1頭ですね。
【父子二代で無敗三冠達成】コントレイル(2020年)
※画像はnetkeibaより引用
2020年は、世界中で大流行したウイルス感染が原因で無観客の中、競馬が行われました。そんな状況下、史上3頭目となる無敗の三冠馬に輝いたのがコントレイルです。
コントレイルの凄さは、父ディープインパクトと父仔2代で無敗の三冠馬という前代未聞の大偉業を達成したことに尽きます。
種牡馬となった現在、現役時代と同じく父に負けない実績を残し、新たな日本競馬史をつくる大種牡馬になってほしいと願うばかりです。
そして、父仔3代にわたる無敗の三冠馬誕生などを考えると夢も尽きませんね。
三冠馬のまとめ
競馬には古くから、
- 皐月賞は”もっとも速い馬が勝つ”
- 日本ダービーは”もっとも運のある馬が勝つ”
- 菊花賞は”もっとも強い馬が勝つ”
との格言があります。
まさに今回ご紹介した8頭の三冠馬は、速くて、強く、そして運を持った競走馬だったからこそ、三冠レースを制することができたのだと思います。
そんな三冠馬に巡り合うことができるのは、一競馬ファンとしても嬉しい限りです。
そして、史上9頭目となる次の三冠馬を目にすることができる日を楽しみに待ちたいですね。