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「大ケヤキの向こう側」に秘められた真実――サイレンススズカとパンサラッサの物語

「大ケヤキの向こう側」に秘められた真実――サイレンススズカとパンサラッサの物語のアイキャッチ

東京競馬場の実況でたびたび耳にする「大ケヤキの向こう側」というフレーズ。

ダービーや天皇賞(秋)など、数々の名勝負を彩ってきた言葉です。

しかし、その大ケヤキが実は“ケヤキではない”ことや、切ってはいけないとされる伝説があることはあまり知られていません。

また、同じ府中の地で行われる「欅ステークス」というレースにも、この木や地域の歴史が深く関わっています。

この記事では、東京競馬場の象徴「大ケヤキ」にまつわる由来と伝承、そして欅ステークスに込められた意味をわかりやすく解説します。

目次

東京競馬場の「大ケヤキ」とは?

東京競馬場の3~4コーナーの中間地点に立つ一本の大木、それが「大ケヤキ」と呼ばれる存在です。

しかし実際にはケヤキではなく、1933年の競馬場移転時から生えているエノキ(榎)です。

当初そこにあった本物のケヤキは落雷で焼失し、その後も残ったエノキが“代わり”として長年親しまれてきました。

この木の周辺には馬頭観音が祀られ、年に数回、競走馬の安全を願う儀式も行われます。

多くのファンが「大ケヤキ」と呼び続けるのは、単なる木ではなく、名勝負と祈りを見守ってきた東京競馬場の象徴だからです。

大ケヤキの向こう側が生まれた理由

東京競馬場の3〜4コーナーにそびえる一本の大木「大ケヤキ」。

実況でよく耳にする「大ケヤキの向こう側」という言葉は、カメラの視界から馬群が一瞬消える地点を指しています。

その瞬間、レースは直線の勝負所へと突入し、スタンドの歓声が最高潮に達します。

この木の存在は、単なる風景ではなく、数々の名勝負と悲劇の舞台となってきました。

逃げ馬サイレンススズカが命を落とし、後にパンサラッサがその魂を継いで駆け抜けた場所。

「大ケヤキの向こう側」は、今もなお運命が交差する象徴的な場所としてファンに語り継がれています。

“風のような逃げ馬”サイレンススズカが残した祈り

1998年の天皇賞(秋)。

東京競馬場のファンは、逃げ馬サイレンススズカが作り出す異次元のレース展開に息を呑みました。

序盤から軽快に飛ばし、誰も追いつけない圧巻のスピード。

しかし、「大ケヤキの手前」で異変が起こります。左前脚を骨折し、そのまま予後不良――。

勝利目前で散った悲劇は、今も多くの競馬ファンの胸に刻まれています。

この出来事をきっかけに、「大ケヤキの向こう側」は命と栄光の境界線と呼ばれるようになりました。

サイレンススズカが駆け抜けたあの風のような走りは、競馬の儚さと美しさを象徴する存在として語り継がれています。

その魂は今も、大ケヤキの根元に祀られる馬頭観音のもとで静かに眠っているのです。

悲劇を超えた歓声――パンサラッサが見せた魂の逃走劇

それから24年後の2022年、東京競馬場の天皇賞(秋)で、再び一頭の逃げ馬が「大ケヤキの向こう側」を駆け抜けました。

その名はパンサラッサ。

序盤から果敢に飛ばし、サイレンススズカを彷彿とさせるハイラップでレースを牽引。

最後まで先頭を譲らず、ゴール前で力尽きたものの、ファンの心には熱い歓声が残りました。

その勇敢な走りは、「大ケヤキの向こう側」に宿る悲劇の記憶を越えるような感動を呼び起こしました。

命を削るように走る逃げ馬の姿に、ファンはスズカの魂を重ね、涙と拍手でその挑戦を讃えました。

パンサラッサはまさに、悲しみを希望へ変えた“継承者”として、新たな伝説を刻んだのです。

切ってはいけない木と呼ばれる理由

東京競馬場の大ケヤキには、もう一つの顔があります。

それは「決して切ってはいけない木」として語り継がれてきた存在です。

過去にはこの周辺の木を伐採しようとした人々に不幸が起こったという噂があり、ファンや関係者の間で“祟りの木”とまで呼ばれるようになりました。

しかしその背景には、単なる怪談ではなく、競馬に携わる人々の祈りと敬意が込められているのです。

都市伝説と祟りの噂

東京競馬場の「大ケヤキ」には、不思議な逸話が残されています。

昭和50年代にかつて存在した本物のケヤキが台風で倒れた際、その処理に関わった職人が相次いで亡くなったという話が広まりました。

この出来事をきっかけに、「あの木を切ってはいけない」という言い伝えが生まれ、以降、数十年間にわたって手が加えられることはありませんでした。

一種の“祟り”として語られるようになりましたが、その裏には、競馬関係者が自然や命に対して抱く敬意が根づいています。

現在では、事故や災いを避けるための戒めのような意味合いで、この伝説は語り継がれています。

馬頭観音と鎮魂の場

大ケヤキのそばには、古くから馬頭観音が祀られています。

この地には武将・井田是政一族の墓があり、競走馬や関係者の無事を祈るため、年に数回「馬頭観音祭」が行われています。

祭では東京競馬場の職員や馬主、厩舎関係者が集い、レースの安全や亡くなった馬たちの冥福を祈ります。

競馬の舞台裏では、華やかな歓声の影に常に命と向き合う瞬間があり、この木と観音像はそのすべてを静かに見守ってきました。

「切ってはいけない木」と呼ばれるのは、祟りではなく、命への敬意と鎮魂の心が込められているからなのです。

府中の欅並木と欅ステークスの由来

東京競馬場の「大ケヤキ」は、実はケヤキではなくエノキですが、“欅”という言葉自体はこの地・府中と深く結びついています。

府中市には「馬場大門の欅並木」と呼ばれる歴史ある参道があり、大国魂神社とともに地域の象徴として知られています。

そしてこの“欅”の名は、東京競馬場で行われる欅ステークスの由来にもなっているのです。

府中市のシンボルツリー「ケヤキ」

東京競馬場が位置する東京都府中市では、「ケヤキ」が市の木として定められています。

その象徴が、大国魂神社から北に伸びる馬場大門の欅並木です。

この並木は平安時代、源頼義・義家の父子が奥州征伐の戦勝祈願としてケヤキの苗木を奉納したのが始まりとされ、樹齢数百年を超える木々が今も参道を彩ります。

府中の街は古くから「馬」と「神社」と「欅」が共存する土地であり、この文化が東京競馬場にも受け継がれてきました。

そのため、欅は単なる街路樹ではなく、歴史・祈り・伝統を象徴する存在として、競馬の舞台とも深く結びついているのです。

欅ステークスに込められた意味

毎年5月下旬に東京競馬場で行われる欅ステークス(ダート1,400m)は、府中市の「欅並木」にちなんで名付けられたレースです。

このレースは、G1級を目指す馬たちが初夏の東京でぶつかる登竜門として知られ、過去にはコスタノヴァ、タガノビューティー、レモンポップ、その他には芝のスプリンターズステークスを連覇したレッドファルクスも勝利を飾っています。

また、3〜4コーナーの「大ケヤキの向こう側」で生まれる激しい攻防は、欅並木が象徴する“力強さと生命力”を思わせます。

欅ステークスという名には、府中の歴史と競馬の熱が重なり合う特別な意味が込められているのです。

東京競馬場の欅:まとめ

東京競馬場の「大ケヤキ」は、実際にはエノキでありながら、長年にわたり“欅”としてファンに親しまれてきました。

その木陰で起こったサイレンススズカの悲劇、そしてパンサラッサの勇走は、競馬が持つ命の尊さと希望を象徴しています。

また、「切ってはいけない木」という伝承や、馬頭観音に込められた祈りが示すように、この木は単なる風景ではなく、競馬とともに歩んできた信仰の象徴でもあります。

府中の欅並木、欅ステークスとともに、この地の歴史と文化を今も静かに伝え続けているのです。

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