サンデーサイレンス系はどのよう日本で系統確立した?来日までのヒストリーを紹介

これまで日本競馬は、多くの海外種牡馬によって、歴史が築かれてきました。

古くは、シンザンの父ヒンドスタン、トウショウボーイやサクラユタカオーを輩出したテスコボーイ。また、シンボリルドルフの父パーソロンは、20年連続で産駒の重賞勝利という記録を打ち立てました。

そして、日本近代競馬の父といわれるノーザンテーストなど、挙げるとキリがありません。

そんな中、日本競馬の血統史をもっとも塗り替えたといっても過言ではないのが、サンデーサイレンスです。

サンデーサイレンスは、幼駒時代から酷評を受けながらもアメリカのG1レースを6勝する大活躍をみせ、日本で種牡馬入りとなりました。

そこで今回は、種牡馬としてのサンデーサイレンスの偉業、なぜこれだけの名馬が日本で種牡馬入りできたのかなどについて紹介します。

日本競馬の発展に多大な影響を与えたサンデーサイレンスの功績をぜひご覧ください。

目次

サンデーサイレンスの海外の反応

アメリカ競馬史に燦然と輝く成績を残したサンデーサイレンス。引退後は当然、種牡馬入りすることになります。

しかし、種牡馬としての評価は決して高いものではありませんでした。

それは、幼少期からの見栄えしない、冴えない馬体、そして、地味すぎる血統によるものだと考えられます。

この点について、ケンタッキー州レキシントン・ストーンファームの場長であり、サンデーサイレンスの生産者でもあるアーサー・ハンコック3世氏(以下、ハンコック氏)は「血統の専門家たちは、評価しない☆を3つも付けて雑種みたいな、まがい物だと酷評したのです。彼らはサンデーサイレンスに種牡馬失格の烙印を押したのです。ですから、誰もサンデーサイレンスを種付けしたがりませんでした。」と嘆き悲しみました。

そんな環境下、ハンコック氏は、当時のアメリカ競馬で稀に見る成績を残した名馬サンデーサイレンスの種牡馬としての需要を見出そうと、総額1,000万ドル(当時のレートで約15億円)のシンジケートを組む予定でした。

私はあらゆる知り合いに声をかけました。しかし、話に乗ってきたのは3人だけでした。他は誰も種付けを望みませんでした。」とのコメント通り、種付株の購入希望者は3人、種付け希望者はわずか2人という状況だったのです。

一方で同時期に種牡馬入りした永遠のライバル馬イージーゴアには、巨額のシンジケートが組まれ、種付け希望者が殺到するほどの大人気種牡馬となります。

これに対してもハンコック氏は「イージーゴアとシンジゲートを組んだのは、50人ほどいたようですが、サンデーサイレンスの種付けに興味を示したのは結局2人だけで、あとは降りてしまいました。」と嘆きは続きました。

サンデーサイレンスと吉田善哉氏

このような状況を見て声をかけたのが、社台グループの総帥だった吉田善哉氏です。

元々サンデーサイレンスの馬主は、生産者のハンコック氏の他に管理したチャーリー・ウィッティンガム調教師、そして、医師の3名による共同によるものでした。

しかし、旧来ハンコックと親交が深かった吉田氏は、サンデーサイレンスがアメリカのブリーダーズカップクラシック(G1)を勝利した後、共同馬主の話を持ち掛け、1/4の権利を保有しました。

これは、将来的にサンデーサイレンスが種牡馬入りした際、権利を保有していることで日本から繁殖牝馬を送り込み、少頭数でも種付けをすることが目的でした。

ところが、前述のような事態に陥ったことで吉田氏は、サンデーサイレンスを種牡馬として、全権利を購入する意志を伝えたのです。

実はこの時ハンコック氏は牧場経営で多額の借金を抱えていました。

そこで、サンデーサイレンスの種牡馬としての想像以上の不人気ぶりを目の当たりにして売却以外に他に道はないと考えます。

あの取引は双方にとっても有益なものでした。サンデーサイレンス、ストーンファーム、そして吉田氏にとっても。もしかすると、あの後、金銭的に牧場を売らなくてはならない状況に追い込まれていたかも知れません。だから、私と私の家族、そして吉田氏にとってもサンデーサイレンスは神からの贈り物なのです。良い取引でした。」とハンコック氏は、売却の経緯をそう語りました。

こうして、サンデーサイレンスは、1,100万ドル、当時のレートで約16億5,000万円で吉田氏に売却され、サンデーサイレンスは、母国アメリカで産駒を残すことなく、1991年に日本で種牡馬入りとなったのです。

その点についてもハンコック氏は「サンデーサイレンスはアメリカでは成功しなかったでしょう。支持者も交配する牝馬もいず、素晴らしいスタートは切れなかったかも知れません。吉田氏はアメリカだけではなく、世界中に非常に質の良い繁殖牝馬を所有しています。彼は1年目から世界でもトップレベルの牝馬と交配しました。サンデーサイレンスが日本に渡ったのは正解です。やはり運命だったと思います。」とコメントしました。

なお、当時、この出来事は『二流血統の馬を日本人が大金を払い買っていった』との見出しでアメリカでも悪評として話題となりましたが、その結果は皆さんが知るところです。

ちなみに大人気だったライバル馬のイージーゴアは種牡馬入りした4年後の1994年に心臓麻痺にて、8歳の若さでこの世を去りました。

しかし、わずか4世代の産駒の中からマイフラッグやウィルズウェイといったG1馬を輩出しており、こちらも種牡馬としては一定の成功を収めたといえるでしょう。

サンデーサイレンスの影響と代表産駒

1991年に来日し、社台ファームにて種牡馬入りしたサンデーサイレンス。翌1992年には、早くも第1世代が誕生します。

そして、2年の月日が経ち、まず、サンデーサイレンス産駒としてJRA初勝利を挙げたのが、1994年6月18日、札幌競馬場で行われた新馬戦でのキタサンサイレンスでした。

また、初重賞勝利は、同年の札幌3歳ステークス(G3)でプライムステージが記録しています。

このように初産駒のデビューから瞬く間に産駒が活躍したことは、社台ファームにとっても予想を大きく上回りました。

そして、サンデーサイレンスは種牡馬として、初産駒のデビューから約半年の間に30勝、うち重賞4勝を挙げるなど、鮮烈なデビュー年となったのです。

その後もサンデーサイレンスの勢いはとどまることを知らず、次々と活躍馬を輩出。初年度産駒がデビューした翌年の1995年には早くもリーディングサイアーを獲得しました。

わずか2世代の産駒だけでリーディングサイアーを獲得というのは、JRA史上初の記録となり、それから2007年まで13年連続でリーディングサイアーの座に君臨し続けたサンデーサイレンスは、JRAにおける種牡馬に関する記録を次々と更新します。

また、輩出した12世代のすべてからG1級レースの勝利馬が誕生し、24あるG1級競走のうち、20のレースを制しました。

さらに2003年にスティルインラブが牝馬三冠を達成し、2005年には、ディープインパクトが無敗で牡馬三冠を達成。牡・牝双方で三冠馬を輩出した種牡馬はサンデーサイレンスが初の快挙です。

そんなサンデーサイレンス産駒は、1994年から2012年まで全部で1,351頭が出走しました。

そのうちJRAで勝ち上がりをみせたのが、901頭。勝馬率に換算すると実に約67%となります。

これは、競走馬が中央競馬にて1勝、いわゆる新馬および未勝利戦を勝ち上がる確率が20%程度といわれている中で約67%は凄い数字だといえます。

簡単にいいますと、仮に1頭の競走馬を購入した場合、一般的に20%程度の確率で1勝できるところをサンデーサイレンス産駒だと、67%まで跳ね上がる計算です。

次に産駒の勝利数ですが、出走回数23,223回に対し、2,749勝です。そのうち、重賞勝利数は、311勝。特別レースに限れば、889勝です。

なお、産駒勝利数は、2023年にディープインパクトに抜かれるまで産駒の勝利数歴代1位を長きに渡り保持し続けていました。

さらにコース別での勝率をみますと、芝コースでは12.1%、ダートコースは11.1%と芝・ダート関係なく産駒が走ったことが分かります。

これは遺伝子的に考えると、芝を得意とした種牡馬の産駒は、芝が得意でダートを得意とした種牡馬の産駒はダートが得意となるのが定説です。

アメリカでしか競走経験がないサンデーサイレンスは、現役時代すべてダート戦だったため、普通に考えれば、ダートが得意な産駒が多いと思われました。

しかし、芝でもダートでも走れる産駒が多かったとなれば、それだけでも種牡馬としてのサンデーサイレンスの凄さは十分に伝わるかと思います。

サンデーサイレンス 系統確率のまとめ

今回は、種牡馬としてのサンデーサイレンスに焦点を当てて紹介しました。

サンデーサイレンス血がもの凄い勢いで日本競馬の血統史を塗り替えたことが象徴的だったレースを最後にお伝えします。

それは、2011年の日本ダービーです。

このレースでは、のちの三冠馬オルフェーヴルが道悪の中、制した一戦となりましたが、実は出走馬全18頭が“サンデーサイレンスの孫”だったのです。

その内訳は、勝ったオルフェーヴルのように父の父がサンデーサイレンスである馬、いわゆるサンデーサイレンス直系の馬が16頭、残りの2頭は、母の父にサンデーサイレンスを持つ馬でした。

いずれにしてもサンデーサイレンスからしてみれば、競馬の祭典、日本ダービーの出走馬全頭が孫なのです。

ここまで極端になることは稀とはいえ、種牡馬サンデーサイレンスの存在感を印象づけたレースとなったことはいうまでもありません。

そして、現在ターフを走る競走馬の血統表に目を向けると、ほとんどにサンデーサイレンスの名が刻まれています。

日本競馬の血統史を大きく塗り替えた稀代のスーパーサイアー・サンデーサイレンス。

種牡馬入り当初のことを考えると、決して血統通りにはいかない、これが競馬の面白さであり、競馬の醍醐味だということを改めて実感させられた歴史的名馬だったことに間違いありませんね。

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