「シンザンを超えろ」で知られたシンザンとは?シンザン記念も同時紹介

1月に開催されるシンザン記念は3歳馬限定の重賞競走ですが、競馬初心者の方からしたらレース名の「シンザン」って何なのか良く分からない人もいるのではないでしょうか。

シンザンとはかつて日本競馬界に存在していた名馬、日本競馬史上2頭目となるクラシック三冠馬です。

しかし、シンザンが活躍したのは1960年代半ばなので現代から見ると60年以上前の馬です。よっぽどのオールドファンじゃなければ知らないのも無理はありません。

そこで、当記事ではシンザンという馬がかつてどのような活躍をしていたのか解説したうえで、シンザン記念の紹介と、現存するシンザンの血を継ぐ競走馬についてまとめました。

目次

シンザンとは?

冒頭でも少し触れましたがシンザンは1960年代半ばの競走馬で史上2頭目のクラシック三冠馬となった馬です。

いつの時代も世代の中心となる名馬は必ず存在していますが、シンザンの場合は現在開催されている「シンザン記念」のレース名にも使われているので当時どれほどの活躍を見せたのか気になるところです。

最初にシンザンの競走馬としての活躍や、種牡馬、そして引退後の活躍を解説します。

シンザンの戦績

生年月日1961年4月2日
性別
ヒンドスタン
ハヤノボリ
母父ハヤタケ
生産牧場松橋吉松
戦績19戦15勝
主な勝ち鞍皐月賞(八大競走) 1964年
日本ダービー(八大競走) 1964年
菊花賞(八大競走) 1964年
天皇賞(秋)(八大競走) 1965年
有馬記念(八大競走) 1965年
スプリングステークス(重賞) 2064年
宝塚記念(重賞) 1965年
目黒記念(秋) 1965年
獲得賞金5,438万円
死去1996年7月13日

シンザンの競走馬時代

シンザンは1963年にデビューし、当時は短距離レースで結果を残しましたがその後は少しずつ距離を伸ばし、4歳春(現3歳春)の時に挑んだスプリングステークスではクラシック候補といわれていたウメノチカラやトキノパレードらの前に6番人気の低評価でした。

しかしながら、道中は無理のない競馬で器用に立ち回って強敵相手に勝利し、東京競馬場で代替開催となった皐月賞も勝利、さらには日本ダービーは今では考えられない27頭立てで開催されましたが、直線で先頭に立ったウメノチカラを差し返して勝利し、二冠を達成しています。

菊花賞においては同年桜花賞とオークスを制した牝馬のカネケヤキの逃げを遠目でみるように末脚を溜め、直線でゴーサインが出たら一気に動き出し、先に抜け出したウメノチカラを捕らえて見事優勝し、初代クラシック三冠馬のセントライト以来、23年ぶりとなるクラシック三冠馬となったのです。

古馬になってからも天皇賞(秋)や有馬記念を勝利し、最終的には八大競走のうちの5つを制した【五冠馬】と呼ばれるようになりました。

余談ですが、シンザンが活躍していた当初はグレード制が導入されていませんでした。

グレード制というのは「G1」や「G2」といったグレードのことで、当時は今でいうG1級のレースを八大競走として一括りにしていたのです。

なお、シンザンは古馬になってから宝塚記念を勝利していますが、当時は宝塚記念は八大競走として扱われていませんでした。

もしも宝塚記念が八大競走として扱われていたらシンザンは五冠馬ではなく【六冠馬】として現在もその名を歴史に刻んでたかもしれません。

「シンザンを超えろ」とは

シンザンを語る上で当時よく言われていたのが「シンザンを超えろ」というフレーズです。

この言葉は戦後初の三冠馬として現れ、最終的に五冠馬となったシンザンを超える馬づくりを目標に掲げられたスローガンです。

長らくシンザンを超える馬は現れませんでしたが、シンザンの活躍からちょうど20年後に現れたシンボリルドルフがクラシック三冠のみならず、天皇賞や有馬記念といった古馬G1も4勝し、最終的には【七冠馬】として競馬界にその名を轟かせ、シンザンを超えた存在となりました。

シンザンの種牡馬時代

史上2頭目のクラシック三冠馬として、そして五冠馬として競馬界で活躍したシンザンは引退後も当然の如く種牡馬としての道が開かれました。

北海道浦河町にある谷川牧場に種牡馬入りしてからはそこまで牝馬の質は高くなかったものの、当時活躍していた輸入種牡馬に負けず劣らず重賞馬を多数輩出し、種牡馬としても一定の成果を残していました。

ただ、クラシックホースには長く恵まれず、はじめて八大競走のひとつである菊花賞を制したのが種牡馬入りしてから10年以上後に誕生したミナガワマンナです。

そして、晩年にはシンザン産駒の最高傑作といわれたミホシンザンが1985年の皐月賞と菊花賞を勝利しています。

なお、ミホシンザンは皐月賞と菊花賞を制した年に有馬記念にも出走しましたが結果は2着でした。このときの勝ち馬は七冠馬としてシンザンを超えたシンボリルドルフだったのです。

晩年のシンザン

シンザンはミホシンザンが天皇賞(春)を制した1987年まで種牡馬を送っていましたが高齢で受精能力が低下していたため引退し、晩年も谷川牧場で余生を送り、1996年の7月に老衰でなくなりました。

最終的には35歳まで馬生を全うしています。競走馬の平均寿命が25歳といわれているので大往生といえるでしょう。

2025年1月の時点でシンザンの長寿記録はG1馬の中では国内最長です。

ちなみに重賞馬に関しては36歳まで生きた競走通信杯勝ち馬のマイネルダビデが、サラブレッドでみると1980年代に大井競馬場で活躍したシャルロットの40歳が国内最長長寿記録です。

なお、シンザンの後継者として白羽の矢が立ったミホシンザンとミナガワマンナですが、サンデーサイレンスを筆頭に、当時流行していた輸入種牡馬の波には勝てず、アサヒジュピターやマイシンザンといった重賞馬こそポツポツ現れましたが、後継種牡馬はなく、父方のラインが途絶えてしまいました。

シンザン記念とは

1月に開催されるシンザン記念は戦後初の三冠馬であるシンザンの栄誉を称えて創設された重賞競走です。

ここからはクラシックレースの登竜門として開催されるシンザン記念の概要や歴史について解説します。

シンザン記念の概要

レース名シンザン記念
グレードG3
創設1967年
開催競馬場京都競馬場
コース芝1,600m(外回り)
出走条件サラ系3歳
負担重量馬齢
1着賞金(2025年時点)4,300万円

1月に開催されるマイル重賞

シンザン記念は1月に京都競馬場で開催される芝1,600mの重賞競走です。

皐月賞や桜花賞といったクラシックレースをはじめ、マイルG1競走のNHKマイルカップを最大目標にする馬も多数参戦し、春のG1を目指したい馬が多数参戦しています。

シンザン記念を勝利して収得賞金を加算できれば、3歳G1競走にフルゲート以上の出走登録があったとしてもほぼ確実に賞金上位で出馬できるため、関係者にとっては重要な一戦といえるでしょう。

なお、シンザン記念が開催される京都競馬場にはシンザンの像が立っていますが、これはシンザンを管理する武田厩舎が京都競馬場に合ったことが由来しています。

その名残でシンザン記念も京都競馬場で開催されているのです。

12月のG1の後に開催されるためレースレベルはそこまで高くない

シンザン記念は1月に開催されるG3競走ですが、1カ月前には最強2歳馬を決めるG1レースの牝馬限定の阪神JFや牡馬混合の朝日杯FS、ホープフルステークスが開催されます。

2歳でデビューを果たし、なおかつG1級のポテンシャルを秘めている馬はG3のシンザン記念ではなくG1の阪神JFや朝日杯FS、ホープフルステークスを目標にします。

特に近年はG1レースのぶっつけ挑戦が目立っていることから近年のシンザン記念はそこまで有力馬の参戦は多くありません。

G1級の馬の参戦はめっぽう減ってしまいましたが、その代わりG1一歩物足りない馬が収得賞金加算のために出走する傾向は強まりつつあり、出走登録自体は意外と多くみられます。

似たような能力の馬が多数参戦すること、多頭数開催になりやすいことから近年のシンザン記念は難解になりがちですが、その代わり的中した時の高配当に期待できるレースとなっていますよ。

出世レースとしての傾向が強い

シンザン記念はG3競走でなおかつG1級の馬はそこまで参戦しません。

しかし、どういうわけかシンザン記念で好走した馬はのちに大成する馬が多く見られます。

そのため、一部ではシンザン記念を出世レースと見ている人も少なくありません。

過去のシンザン記念の好走馬とその後の活躍を表にまとめました。

シーキングザパール

1997年のシンザン記念を制した外国馬で、当時外国馬のために設けられたNHKマイルカップを優勝しました。

古馬になってからは海外も視野に入れ、フランスのドーヴィル競馬場で開催された芝1,300mのG1競走モーリス・ド・ゲスト賞にも出走して勝利しました。

シーキングザパールは日本の調教馬として初めて海外G1レースを制した日本調教馬として注目され、現在頻繁に行われている海外遠征のパイオニアとなったのです。

ジェンティルドンナ

2013年のシンザン記念の勝ち馬であるジェンティルドンナはディープインパクト産駒の牝馬です。

同年の牝馬三冠を成し遂げただけではなく、古馬混合G1も4勝し、最終的にはG1レースを7勝しました。G1レース7勝はディープインパクト産駒の中で最多獲得数で、ディープインパクト産駒の最高傑作といえるでしょう。

牝馬三冠のパフォーマンスだけではなく、一つ年上の三冠馬であるオルフェーヴルと激突した2013年ジャパンカップでは暴君オルフェーヴルを弾き飛ばすなど、ポテンシャルだけではなく勝負根性も肝も据わった牝馬でした。

ちなみに第3仔のジェラルディーナもエリザベス女王杯を制しており、そのポテンシャルは仔にも継がれています。

ミッキーアイル

2014年のシンザン記念を制したミッキーアイルはディープインパクト産駒の中では珍しい短距離型のマイラーでした。

同年NHKマイルを勝利しただけではなく、古馬になってからも高松宮記念やスプリンターズステークスで善戦しておりいました。

引退後は種牡馬入りを果たし、メイケイエールやナムラクレアなど、父同様短距離で活躍するスプリンターを多数輩出しており種牡馬としても成功を収めています。

アーモンドアイ

2018年のシンザン記念を制したアーモンドアイは小雨の稍重で出遅れながらも前有利の中、1頭だけ大外から追い上げて勝利しました。

この段階でポテンシャルの片鱗を見せていましたが案の定牝馬三冠でもその力を存分に発揮し、同年牝馬三冠を全勝しています。

そして、3歳の時に挑んだジャパンカップでは芝2,400mの世界レコードを1秒5も更新する2分20秒6の時計を以て勝利し、同年の年度代表馬として頂点に君臨しました。

古馬になってからも安定した成績でターフを駆け抜け、最終的には芝G1レースを9勝し、5歳のジャパンカップを最後に引退しています。

引退後は故郷ノーザンファームで繁殖牝馬入りしており、現在も供用されています。

ピクシーナイト

2021年のシンザン記念を制したピクシーナイトは短距離レースを中心に使われ、同年スプリンターズステークスでも力強い走りを見せて優勝しました。

今後の活躍にも期待されましたが、続く香港スプリントにおいて他馬の落馬事故に巻き込まれて剥離骨折してしまいます。

幸いにも命の別状はなく、長期離脱を経てターフに帰ってきましたがかつてほどのパフォーマンスを取り戻すことができずに着外が重なり、2023年に引退しています。

オルフェーヴル

史上7頭目のクラシック三冠馬として有名なオルフェーヴルは2011年のシンザン記念で2着でした。

シンザン記念までは目立った活躍を見せませんでしたがクラシックで覚醒し、さらに古馬になってからも凱旋門賞で2年連続2着入線するなど、他の三冠馬で成し遂げられなかった活躍を見せました。

気性難の荒さから操縦性に難がありましたがかみ合った時のパフォーマンスは秀逸で、引退レースとなった有馬記念においては2着馬ウインバリアシオンに8馬身差の圧勝で有終の美を飾っています。

現在は社台スタリオンステーションで種牡馬入りし、ラッキーライラックやウシュバテソーロなど、多数のG1馬を輩出しています。

ダイワスカーレット

2007年のシンザン記念では2着だったダイワスカーレットはのちに桜花賞と秋華賞、さらにエリザベス女王杯を勝利し、3歳の時点でG1レースを3勝しています。

古馬になってからも天皇賞(秋)でライバルウォッカと激突し、引退レースとなった有馬記念も逃げの競馬で勝利しました。

12戦8勝2着が4回で連対率100%のパフォーマンスを見せた名牝です。

シンザンの血を継ぐ馬たち

シンザンの父系のラインはなくなりましたが、実は母系はいまも継がれており、サンデーサイレンスやキングカメハメハほど目立ちませんがが細々と血は継がれています。

ここからはシンザンの血を継ぐ馬を3頭紹介します。

※帯広のばんえい競馬でも活躍しているシンザンの子孫はいますがここではサラブレッドに絞って解説します。

メイショウマンボ

2013年のオークスと秋華賞、エリザベス女王杯の牝馬G1を制したメイショウマンボは母の先祖(母母母母母父)にシンザンがいます。

武豊騎手の弟で現在調教師の武幸四郎騎手が主戦を務めており、3歳の活躍ぶりから古馬になってからも活躍に期待されていました。

ところが、4歳以降はヴィクトリアマイルで2着に入線したもののその後はこれまでとはまるで別馬の如く凡走が目立ちました。

最終的には7歳までレースに挑み続けましたが好走することなく2017年に引退しています。

ただ、引退後はこれまでの実績が評価されて北海道浦河町にある高昭牧場で繁殖牝馬入りし、2025年1月時点で6頭の仔を出産しています。

マイネレーツェル

208年ローズステークスとフィリーズレビュー(どちらもG2)を制したマイネレーツェルは母方(母母母母父)にシンザンがいます。

古馬になってからは目立った活躍を見せていませんでしたが北海道新冠町にあるビッグレッドファームで種牡馬入りしており、2025年1月の時点で10番仔であるマイネルバーテクスと11番仔のサーリアルが現役馬としてターフに出走しています。

ヒーローコール

2022年にNARグランプリ2歳最優秀牡馬を受賞した地方所属のヒーローコールも母方(母母母母父)にシンザンがいます。

デビュー時から安定したパフォーマンスを見せており、南関三冠競走に指定されている羽田盃と東京ダービーでもミックファイアの2着に入線しました。

古馬になってからは少し勝ち星から遠ざかっていますが、それでも善戦しているので地方競馬界にシンザンの血を轟かせてほしいです。

シンザンのまとめ

今回は史上2頭目のクラシック三冠馬であるシンザンとシンザン記念についてまとめました。

60年以上前の馬ですが今もレース名で使用されているようにシンザンは日本競馬界に多大なる貢献をもたらした馬です。

シンザンはすでに亡くなりましたが、シンザンの血を継ぐ馬やシンザン記念を通して出世した馬も少なくありませんし、

今後もシンザン記念が開催されるたびにシンザンの功績を振り返りたいです。

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