2025年9月、長年にわたり「メイショウ」の冠名で数多くの競走馬を送り出してきた馬主・松本好雄氏が逝去されました。
1974年に馬主登録して以来、中央・地方を問わず個人馬主として最多級の所有数を誇り、2025年8月にはついにJRA通算2,000勝を達成。
オークス馬メイショウマンボや二冠馬メイショウサムソンなど、名だたる馬たちを所有し、ファンの記憶に残る数々の名場面を生み出しました。
本記事では、メイショウ軍団を代表する10頭の名馬と松本オーナーのエピソードを紹介します。
メイショウ軍団のオーナー 松本好雄氏とは
松本好雄氏は1974年にJRAの馬主登録を行い、以降「メイショウ」の冠名で数百頭もの競走馬を所有してきた名オーナーです。
勝負服は青地に桃色の襷と袖で、中央競馬だけでなく地方競馬でも広く知られました。
社台グループなど大牧場の馬を中心とする近代競馬の中で、松本氏はあえて日高の中小牧場との絆を大切にし、調教師や牧場の薦めを信頼して手頃な価格の馬を積極的に購入。
その姿勢から「庶民派の大馬主」とも呼ばれました。
代表馬には皐月賞と日本ダービーを制したメイショウサムソン、オークス・秋華賞を勝ったメイショウマンボなどG1馬が名を連ねます。
2025年8月にはJRA通算2,000勝を達成するなど、日本競馬史に名を刻む偉大な個人馬主のひとりです。
冠名メイショウの代表馬10選
半世紀以上にわたり数多くの競走馬を送り出してきたメイショウ軍団の中でも、ファンの記憶に強く残る名馬たちが存在します。
ここではクラシックを制した二冠馬や、ローカルで愛された英雄、ダート界を代表する実力馬まで、ジャンルの異なる10頭を厳選して紹介します。
それぞれの歩みとともに、松本オーナーの競馬人生を彩った名シーンを振り返りましょう。
メイショウサムソン

生年月日 | 2003年3月7日 |
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性別 | 牡 |
父 | オペラハウス |
母 | マイヴィヴィアン |
母父 | ダンシングブレーヴ |
生産牧場 | 林孝輝 |
戦績 | 27戦9勝 |
主な勝ち鞍 | 皐月賞(G1) 2006年 日本ダービー(G1) 2006年 天皇賞(春)(G1) 2007年 天皇賞(秋)(G1) 2007年 スプリングステークス(G2) 2006年 産経大阪杯(G2) 2007年 |
獲得賞金 | 10億6,594万9,000円 |
登録抹消日 | 2009年1月6日 |
死没 | 2024年11月26日 |
2003年生まれの牡馬で、父オペラハウス、母マイヴィヴィアンという欧州色の強い血統を持つ二冠馬です。
2006年の皐月賞では6番人気ながら力強く抜け出し、続く日本ダービーでは堂々の一番人気に応えて勝利。
小倉デビュー馬として初めてダービーを制した歴史的存在となりました。
秋は菊花賞で敗れ三冠を逃したものの、翌年の大阪杯を皮切りに天皇賞(春・秋)を連覇し、G1レース4勝を達成しました。その堅実な走りでファンを魅了しました。
現役引退後は種牡馬入りし、多くの産駒を送り出しましたが大物には恵まれず、功労馬として余生を過ごしました。
無骨ながらも熱い走りで、日本競馬に強い印象を残した名馬です。
メイショウドトウ

生年月日 | 1996年3月25日 |
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性別 | 牡 |
父 | Bigstone |
母 | プリンセスリーマ |
母父 | Affirmed |
生産牧場 | P. ハーディー |
戦績 | 27戦10勝 |
主な勝ち鞍 | 宝塚記念(G1) 2001年 金鯱賞(G2) 2000年 オールカマー(G2) 2000年 日経賞(G2) 2001年 中京記念(G3) 2000年 |
獲得賞金 | 9億2,133万4,000円 |
登録抹消日 | 2002年1月17日 |
1996年生まれのアイルランド産マル外で、約400万円という低価格で迎えられた馬です。
栗東・安田伊佐夫厩舎に所属し、雄大な馬体と安定感ある走りで頭角を現しました。
古馬になってからは“世紀末覇王”テイエムオペラオーの最大のライバルとして幾度となく激闘を繰り広げ、「史上最強の二番手」と呼ばれる存在になります。
2001年の宝塚記念ではそのオペラオーを退け、六度目の挑戦でついに悲願のG1タイトルを獲得しました。
引退後は種牡馬を経てフォスターホースとして余生を送り、穏やかな性格で猫やヤギと寄り添う姿が話題となり、今もファンから愛され続けています。
メイショウハリオ

生年月日 | 2017年2月25日 |
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性別 | 牡 |
父 | パイロ |
母 | メイショウオウヒ |
母父 | マンハッタンカフェ |
生産牧場 | 三嶋牧場 |
戦績 | 30戦10勝 |
主な勝ち鞍 | 帝王賞(Jpn1) 2022年・2023年 かしわ記念(Jpn1) 2023年 川崎記念(Jpn1) 2025年 みやこステークス(G3) 2021年 マーチステークス(G3) 2022年 |
獲得賞金 | 6億1,330万5,000円 |
2017年生まれの栗毛牡馬で、父パイロ、母メイショウオウヒという血統です。
浦河町の三嶋牧場で生まれ、岡田稲男厩舎からデビューしました。
3歳4月に初出走し、未勝利戦を勝ち上がると徐々に力をつけ、2021年のみやこステークスで重賞初制覇を果たします。
その後はダート界の一線級として活躍し、2022年と2023年の帝王賞を連覇する偉業を達成しました。
さらに2023年かしわ記念、2025年川崎記念など交流G1を次々に制覇し、メイショウ軍団のダートエースとして存在感を示しています。
末脚勝負を得意とする一方で、気性が荒く扱いが難しい面もあるとされます。
それでも浜中俊騎手と名コンビを組み、逆境を力に変えて結果を残してきました。
8歳となった今もなお現役を続ける姿は、多くのファンの心を掴み続けています。
メイショウタバル

生年月日 | 2021年4月20日 |
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性別 | 牡 |
父 | ゴールドシップ |
母 | メイショウツバクロ |
母父 | フレンチデピュティ |
生産牧場 | 三嶋牧場 |
戦績 | 11戦5勝 |
主な勝ち鞍 | 宝塚記念(G1) 2025年 神戸新聞杯(G2) 2024年 毎日杯(G3) 2024年 |
獲得賞金 | 4億4,164万6,670円 |
2021年生まれの鹿毛牡馬で、父はゴールドシップ。浦河の三嶋牧場生産で、栗東・石橋守厩舎に所属します。
母メイショウツバクロは中央で1勝を挙げましたが、この勝利が石橋守騎手にとって現役最後の勝利でもありました。
親子二代にわたる縁は、のちのタバルに託されます。
2024年に毎日杯・神戸新聞杯を制し、折り合い難を抱えながらも力強い逃げ脚で存在感を示しました。
2025年の宝塚記念では武豊騎手とコンビを組み、稍重馬場を味方にスピードを保ち切って逃げ切り。
父ゴールドシップ譲りのスタミナに加え、先行して粘り込む新しいスタイルを確立しました。
「粘る、頑張る」の実況通り、血のドラマと人の縁に彩られた一頭です。
メイショウマンボ

生年月日 | 2010年2月25日 |
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性別 | 牝 |
父 | スズカマンボ |
母 | メイショウモモカ |
母父 | グラスワンダー |
生産牧場 | 高昭牧場 |
戦績 | 31戦6勝 |
主な勝ち鞍 | オークス(G1) 2013年 秋華賞(G1) 2013年 エリザベス女王杯(G1) 2013年 フィリーズレビュー(G2) 2013年 |
獲得賞金 | 4億3,519万5,000円 |
登録抹消日 | 2017年4月14日 |
死没 | 2025年4月14日 |
2010年生まれの鹿毛の牝馬で、父は天皇賞馬スズカマンボ、母はメイショウモモカという血統背景を持ちます。
近親には菊花賞馬ダイコーターがいるものの、全体としては派手な活躍馬に乏しく、クラシックでも当初はさほど注目されていませんでした。
ところが、2013年に入ると状況が一変します。
フィリーズレビューを勝ち、桜花賞こそ大敗したものの、追加登録で挑んだオークスでは9番人気の低評価を覆して快勝。
さらに秋にはローズステークスを経て秋華賞を制し、続くエリザベス女王杯も勝ち抜き、牝馬三冠のうち二冠と秋の女王決定戦を制した名牝となりました。
鞍上の武幸四郎騎手とのコンビは、馬主・松本好雄氏が若手時代から彼を信じ続けた絆の物語として語り継がれています。
引退後は生まれ故郷の高昭牧場で繁殖入りしましたが、2025年4月に第7仔を出産後、体調を崩して惜しまれつつ15歳でこの世を去りました。
メイショウダッサイ

生年月日 | 2013年4月8日 |
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性別 | 牡 |
父 | スズカマンボ |
母 | スズカブルーム |
母父 | スキャターザゴールド |
生産牧場 | グランド牧場 |
戦績 | 36戦10勝 |
主な勝ち鞍 | 中山グランドジャンプ(J・G1) 2021年 中山大障害(J・G1) 2020年 東京ハイジャンプ(J・G2) 2020年 阪神スプリングジャンプ(J・G2) 2021年 小倉サマージャンプ(J・G3) 2019年 |
獲得賞金 | 3億8,494万6,000円 |
登録抹消日 | 2022年11月20日 |
2013年生まれの黒鹿毛の牡馬で、栗東・飯田祐史厩舎に所属した障害の名馬です。
父は天皇賞馬スズカマンボ、母はスズカブルーム、母父は良血馬スキャターザゴールドという血統背景を持ち、新ひだか町のグランド牧場で生産されました。
馬名の「ダッサイ」は冠名「メイショウ」と山口の銘酒で知られる「獺祭」から名付けられています。
平地デビューは2歳の阪神芝2,000mでしたが大敗し、その後ダート戦で初勝利を挙げます。
しかし500万下の壁を破れず、5歳春から障害へ転向。
ここで鞍上・森一馬騎手と出会い才能が開花します。
2019年に小倉サマージャンプで重賞初制覇を飾ると、翌年には中山大障害を勝ってついにJ・G1タイトルを獲得。
さらに2021年には中山グランドジャンプでオジュウチョウサンの連覇を阻止し、新王者として名を轟かせました。
2020年度のJRA賞最優秀障害馬を受賞。
障害界を代表する一頭となり、松本好雄オーナーと森一馬騎手に数々の栄冠をもたらしました。
メイショウボーラー

生年月日 | 2001年4月16日 |
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性別 | 牡 |
父 | タイキシャトル |
母 | ナイスレイズ |
母父 | Storm Cat |
生産牧場 | 日の出牧場 |
戦績 | 29戦7勝 |
主な勝ち鞍 | フェブラリーステークス(G1) 2005年 デイリー杯2歳ステークス(G2) 2003年 小倉2歳ステークス(G3) 2003年 根岸ステークス(G3) 2005年 ガーネットステークス(G3) 2005年 |
獲得賞金 | 4億6,672万4,000円 |
登録抹消日 | 2007年10月27日 |
2001年生まれの牡馬で、父タイキシャトル、母ナイスレイズという快速血統です。
浦河・日の出牧場生産、栗東・白井寿昭厩舎、主戦は福永祐一騎手です。
2歳時に小倉2歳ステークスとデイリー杯2歳ステークスを連勝し、スピードで頭角を現しました。
3歳春はマイル路線で善戦が続きましたが、勝ち切れず苦心しましたが、転機はダート替わりで、根岸ステークスを7馬身差で圧勝し、続く2005年フェブラリーステークスを逃げ切りレコードでGI制覇を成し遂げました。
芝・ダート問わず短距離で能力を示した一方、以降は展開や隊列の影響で勝ち切れない競馬もありました。
引退後は種牡馬としてニシケンモノノフやラインミーティアなどを送り出し、2022年に種牡馬を退いて引退馬協会のフォスターホースとなりました。
メイショウベルーガ

生年月日 | 2005年3月30日 |
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性別 | 牝 |
父 | フレンチデピュティ |
母 | パパコ |
母父 | サドラーズウェルズ |
生産牧場 | 三嶋牧場 |
戦績 | 35戦7勝 |
主な勝ち鞍 | 日経新春杯(G2) 2010年 京都大賞典(G2) 2010年 |
獲得賞金 | 3億3,084万6,000円 |
登録抹消日 | 2011年11月4日 |
死没 | 2021年8月2日 |
2005年生まれの芦毛牝馬で、浦河・三嶋牧場の生産です。
父はフレンチデピュティ、母パパゴという血統で、白い馬体にピンク×青のメンコが印象的でした。
京都を得意とし、2010年の日経新春杯と京都大賞典を鋭い差し脚で制しています。
同年のエリザベス女王杯ではスノーフェアリーの強襲に屈し2着でしたが、三冠牝馬アパパネをねじ伏せる内容で地力を示しました。
池添謙一騎手とのコンビで末脚を磨き、牡馬混合の重賞でも互角に渡り合っています。
2011年の天皇賞(秋)では異変を察知した池添騎手が外ラチ沿いで静止し、右前繋靱帯の不全断裂から命を守りました。
引退後は故郷で繁殖牝馬となり、メイショウテンゲン(弥生賞)とメイショウミモザ(阪神牝馬ステークス)を送り出しています。
2021年に16歳で逝去しましたが、娘たちが牝系をつないでいます。
直線一気で沸かせた“京都巧者”の走りは、今も多くのファンの記憶に残っています。
メイショウカイドウ

生年月日 | 1999年5月14日 |
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性別 | 牡 |
父 | スキャン |
母 | キンセングローリー |
母父 | ヒッタイトグローリー |
生産牧場 | 森永正志 |
戦績 | 41戦10勝 |
主な勝ち鞍 | 小倉記念(G3) 2004年・2005年 小倉大賞典(G3) 2005年 北九州記念(G3) 2005年 七夕賞(G3) 2006年 |
獲得賞金 | 3億5,448万4,000円 |
登録抹消日 | 2007年10月3日 |
1999年生まれの牡馬で、森永正志牧場生産、坂口正大厩舎に所属しました。
小倉で無類の強さを誇り、2005年に小倉大賞典・北九州記念・小倉記念を同一年で制覇した“唯一の小倉三冠馬”です。
2004年小倉記念、2006年七夕賞も制し、特に小倉では【8-1-2-5】と勝率5割超の“小倉マイスター”ぶりを示しました。
馬主は松本好雄氏と「マヤノ」田所祐氏の共同名義で、賞金は折半、優勝記念品は田所氏へ譲られていました。
引退後は小倉競馬場の誘導馬として活躍し、「玄界灘の風雲児」の愛称でファンに親しまれました。
2017年に誘導馬を勇退し、その後は滋賀県の牧場で穏やかな余生を送っています。
坂口師によれば「前日泊で力を出せた」ことが小倉での快走につながったそうです。
メイショウバトラー

生年月日 | 2000年4月19日 |
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性別 | 牝 |
父 | メイショウホムラ |
母 | メイショウハゴロモ |
母父 | ダイナガリバー |
生産牧場 | 三木田明仁 |
戦績 | 61戦14勝 |
主な勝ち鞍 | 小倉大賞典(G3) 2004年 プロキオンステークス(G3) 2006年 シリウスステークス(G3) 2006年 サマーチャンピオン(Jpn3) 2006年 かきつばた記念(Jpn3) 2007年 さきたま杯(Jpn3) 2007年 スパーキングレディーカップ(Jpn3) 2007年 クラスターカップ(Jpn3) 2007年 マリーンカップ(Jpn3) 2008年・2009年 |
獲得賞金 | 6億843万3,000円 |
登録抹消日 | 2011年2月26日 |
死没 | 2017年3月21日 |
2000年生まれの鹿毛の牝馬で、高橋成忠厩舎に所属しました。
父メイショウホムラ、母メイショウハゴロモという“メイショウ配合”で、松本好雄オーナーのもとデビューしました。
芝で小倉大賞典を逃げ切って重賞初制覇後、右前脚の屈腱炎で長期離脱を余儀なくされます。
それでも一年超の治療を経てダートで復帰し、プロキオンステークスやシリウスステークス、交流重賞を次々と制しました。
9歳のマリーンCを制し、牝馬の平地重賞勝利最年長記録を樹立したことでも知られます。
通算61戦14勝、重賞10勝(うち交流7勝)です。
タフな走りと夏場の強さで“バトラー姐さん”の愛称で親しまれました。
繁殖入り後は大きな後継こそ出せませんでしたが、その不屈のキャリアは今も語り継がれています。
松本好雄氏の競馬エピソード
メイショウ軍団を築いた松本好雄氏は、数々の名馬を送り出すだけでなく、独自の信念と人とのつながりを大切にしてきました。
冠名「メイショウ」に込めた由来や、中小牧場との強い信頼関係、さらに2025年に達成した個人馬主として史上初のJRA通算2,000勝など、その歩みには数多くのエピソードがあります。
ここでは競馬界に残した人情味あふれる物語を紹介します。
メイショウ軍団の由来
松本好雄氏の所有馬には、すべて冠名として「メイショウ」が付けられています。
これは生まれ故郷である兵庫県明石市から「明石の松本」をもじったもので、同時に「名将」という言葉にもかけられていました。
青い胴に桃色の襷、袖にも桃色をあしらった勝負服は多くのファンに親しまれ、地方競馬でも吉本隆記騎手が松本氏の許可を得て同じデザインを使用しています。
90年代から2000年代にかけて「メイショウ」の名を冠した馬が各地で活躍し、いつしか競馬ファンの間で「メイショウ軍団」と呼ばれるようになりました。
その名は強さと親しみやすさを兼ね備えたブランドとして、現在も競馬界に深く刻まれています。
中小牧場との関係を重視
松本好雄氏の馬主としての特徴は、社台や大牧場の高額良血馬ではなく、中小牧場の生産馬を積極的に購入してきた点にあります。
調教師や牧場の勧めを信頼し、価格も手ごろな馬を迎え入れる姿勢は一貫していました。
そのため、デビューまで松本氏が実馬を見たことのないケースも多く、のちに日本ダービーと天皇賞を制したメイショウサムソンも、初めて生で見たのは小倉での新馬戦だったといいます。
こうした姿勢は中小牧場に大きな希望を与え、馬産地の日高地区では「メイショウさん」と親しみを込めて呼ばれる存在になりました。
牧場関係者を大切にする松本氏の人柄は、単なるオーナーと生産者の関係を超えた信頼の絆を築き上げていたのです。
2025年8月に2,000勝を達成
2025年8月、松本好雄氏はJRA通算2,000勝という大記録を打ち立てました。
個人馬主としての2,000勝到達は史上初の快挙であり、長年にわたり競馬界を支えてきた功績が改めて称えられました。
節目の勝利をもたらしたのは、三嶋牧場生産のメイショウハッケイ。
母系も代々同牧場が手掛けてきた血統であり、さらに3代母メイショウサンサンから松本氏の所有馬として受け継がれてきた牝系でもありました。
オーナーと牧場が共に歩んできた歴史が結実した一戦は、関係者にとって特別な意味を持つものでした。
名馬を送り出すだけでなく、生産者との絆を大切にしてきた松本氏だからこそ実現した節目の勝利だったといえるでしょう。
メイショウ軍団と松本好雄氏のまとめ
メイショウ軍団の歩みは、ただ勝ち星を積み重ねただけの物語ではありません。
血統的に派手さがなくても馬を信じ、中小牧場と共に挑み続ける――その姿勢が数々のドラマを生みました。
サムソンやドトウのような名馬がG1の舞台を彩り、バトラーやベルーガのように健気に走り続けた馬たちがファンを魅了しました。
2025年のJRA通算2,000勝という金字塔は、まさに努力と人情の結晶です。
名オーナー松本好雄氏と共に築かれたメイショウ軍団の歴史は、これからも競馬ファンの心に息づき、色褪せることなく語り継がれていくでしょう。