競走馬が安楽死処分となる事例は、決して多くはありません。
しかし、人間の手で安楽死させることに対して、複雑な感情を抱く方もいらっしゃるでしょう。
過去の名馬の中では誰もが知っているであろう【無敗の三冠馬】であるディープインパクトも、晩年は安楽死の処置が取られました。
競走馬はどのような状況で安楽死という選択をされるのでしょうか?安楽死以外の方法で治療することはできないのでしょうか?
競馬ファンの方でも、競走馬の安楽死処分について詳しく知っている方は少ないかもしれません。
そこで、今回は、競走馬の安楽死処分について、その背景や理由などを詳しく解説します。
予後不良と安楽死は同じ意味

競馬のニュースなどで「〇〇が原因で予後不良と診断されました。」という記事を目にすることがあるかもしれません。
この予後不良とは、一言でいうと馬を安楽死させることを意味します。
つまり、予後不良=安楽死と理解して差し支えありません。
なぜ競走馬を安楽死させられるのか

競走馬が安楽死を選択せざるを得ない状況は、主に怪我が原因です。
競走馬の平均体重は約500kgと、人間よりもはるかに重い身体を人間と同じくらいの太さしかない4本の脚で支えています。この細い脚で激しいレースをこなすため、怪我のリスクが常に伴います。
特に骨折などの重傷を負った場合、予後不良と診断されることがあります。これは、現在の獣医学では治療が困難で、回復の見込みがない状態を指します。
代表的な例として、1970年代に活躍した名馬テンポイントが挙げられます。テンポイントはレース中に左後肢を骨折し、懸命な治療にも関わらず、最終的には衰弱死しました。
テンポイントの悲劇-なぜ競走馬は骨折すると危険なのか
1978年、有馬記念を制したテンポイントは、翌年の日本経済新春杯(現在の日経新春杯)に出走しました。
当時は現在よりも斤量制度が厳しく、テンポイントは66.5kgという過酷な斤量を背負ってレースに臨み、3~4コーナーで左後脚を骨折してしまいます。
通常であればその場で安楽死処分となるところでしたが、ファンの「助けてほしい」という声に応え、手術が行われました。しかし、テンポイントは徐々に衰弱し、蹄葉炎(ていようえん)を併発して亡くなってしまいます。
なぜテンポイントは助からなかったのでしょうか?
競走馬が骨折すると危険な理由は主に3つあります。
1,体重負荷
競走馬は人間とほぼ同じ太さの脚で約500kgの体重を支えています。
1本脚を骨折すると、残りの3本で体重を支えなければならず、脚への負担が大幅に増加します。
2,寝たきりになれない
競走馬は体重が重いため、長時間同じ場所で横になると体の一部が壊死してしまいます。
また、寝返りを打つことも困難です。そのため、まとまった睡眠をとることができず、15分~30分程度の短い睡眠を繰り返します。
ちなみに、横にならずに足って寝る馬もいます。
3,蹄機作用(ていきさよう)の停止
蹄機作用とは、馬が歩行時に蹄が地面に着地する際の衝撃を利用して、血液を全身に循環させることです。
競走馬は体が大きいため、心臓の力だけでは血液を全身に送ることができません。
しかし、骨折すると歩行が困難になり、蹄機作用が働かなくなるため、血液循環が滞り、生命維持が難しくなります。
安楽死の方法
競走馬の安楽死は、一般的に麻酔薬の投与によって行われます。
投与される薬物は、神経麻痺を引き起こすもの、もしくは神経を破壊するものです。
安楽死の処置を終えた馬は、専門の火葬業者によって火葬されます。
安楽死された馬は馬肉になる?
競走馬の安楽死についてお話してきましたが、ここからは少し脱線して、馬肉に関する噂についてお話します。
【馬肉は競走馬の肉】という噂を聞いたことがある方もいるかもしれません。確かに、かつては安楽死した馬が馬肉として利用されたこともあったようですが、現在では一般的ではありません。
その理由は、競走馬の安楽死には薬物が使用されるからです。薬殺処分された馬の肉を食用とすることは、食品安全衛生管理上問題があります。そのため、安楽死処分されたサラブレッドが馬肉として流通することはありません。
現在、馬肉として流通しているのは、食用として育てられた馬の肉です。これらの馬は衛生管理が徹底された環境で育てられているため、生食も可能なほど安全です。
競走馬の安楽死のまとめ

今回は競走馬の安楽死についてまとめました。
競走馬にとって、骨折が最も負担となるのは脚が動かせなくなることです。
特に、競走馬は蹄機作用ができなくなるため、骨折すると衰弱してしまうケースも少なくありません。
蹄機作用とは、馬が歩行する際に、蹄が地面に着地する衝撃を利用して血液を全身に循環させる機能のことです。競走馬は、この蹄機作用によって心臓から遠い脚の血液を循環させています。
しかし、骨折によって歩行が困難になると、この蹄機作用が働かなくなり、血液の循環が滞ってしまいます。その結果、競走馬は必要な栄養や酸素を全身に運ぶことができなくなり、衰弱してしまうのです。
また、テンポイントやサンエイサンキューのように、延命措置を行うことで競走馬が苦しみながら死んでしまうケースもあります。
そのため、競馬界では助からないと判断された場合、競走馬の苦痛を軽減するために速やかに安楽死処分を行うようにしています。
競走馬の安楽死と聞くと、どうしてもかわいそうという感情が先行しがちです。しかし、苦痛を長引かせることなく命を絶つということは、動物にとって最良の手段である場合も事実です。
長く競馬に携わっていると、競走馬が予後不良と診断される場面に遭遇することがあります。その背景には、今回お話したような様々な事情があることを忘れないでいただきたいと思います。