繋靱帯炎(けいじんたいえん)という言葉をご存じでしょうか?
今回解説する繋靭帯炎は、サラブレッドが発症する病気のひとつで、発症してしまったら競走能力を失うリスクもあります。
ガラスの脚とも言われるサラブレッドですが、この記事では、繋靭帯炎が原因で引退を余儀なくされた名馬と、見事に復活を遂げ、その後に活躍した名馬を解説します。
繋靭帯炎とは
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冒頭でも少し触れましたが、繋靱帯炎は競走馬の競技生活を大きく左右する深刻な疾患です。
発祥すると、競走馬の運動能力に深刻な影響を及ぼし、最悪の場合は競走馬としてのキャリアを断絶することもあります。
本章では繋靭帯炎がどういった病気なのか、その原因について解説します。
そもそも繋靭帯炎とはどんな病気?
サラブレッドの脚には様々な名称の骨が存在しています。その中でも、指骨と中手骨とを接続している部分を球節とよび、このつなぎ目を担っている球節周辺にある靭帯の炎症のことを総称して繋靭帯炎といいます。
繋靭帯炎は発症後、異常が全く見られないケース、患部の違和感や疼痛から歩様に異常をきたす「跛行」の症状が見られるケース、患部が太くなるほど腫れ上がる重度のケースまで、その病状の程度は様々です。
一度発症してしまうと、復帰まで短くても数ヶ月から1年ほどの休養期間が必要になることや、調教やレースを再開すると再発する可能性が高いこと、累積運動量が多い場合は慢性繋靱帯炎へと移行し完治が難しくなることから、不治の病と言われる屈腱炎と並び、サラブレッドにとって致命的な病気です。
繋靭帯炎の原因は?
サラブレッドが走った際、着地した脚には大きな負荷がかかり、その負荷は時に1トンを超えるとされています。その負荷を和らげてくれる役目をするのが、先ほど解説した球節です。
また、球節は負荷を和らげるクッション効果の他に、その弾性により走行時の推進力を生み出す役割も果たしている重要な部分であり、この球節部分に負荷がかかり続け、その周辺の靱帯が炎症することによって引き起こされるのが繋靱帯炎です。
同じ原因で発症するの屈腱炎と同様、この繋靱帯炎を発症してしまったことで引退した名馬も多くいます。しかしまた、見事に復活を遂げた名馬がいるのも事実です。
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繋靱帯炎が原因で引退した名馬たち
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繋靱帯炎は完治が難しく、サラブレッドの競走生活に多大な影響を及ぼします。
そして、繋靱帯炎は競馬史に歴史を刻んだ名馬たちのキャリアも奪いました。
この章では繋靱帯炎が原因で引退してしまった名馬たちを紹介します。
シンボリルドルフ
生年月日 | 1981年3月13日 |
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性別 | 牡 |
父 | パーソロン |
母 | スイートルナ |
母父 | スピードシンボリ |
生産牧場 | シンボリ牧場 |
戦績 | 16戦13勝 |
主な勝ち鞍 | クラシック三冠(G1) 1984年 有馬記念(G1) 1984・1985年 天皇賞(春)(G1) 1985年 ジャパンカップ(G1) 1985年 日経賞(G2) 1985年 弥生賞(G3) 1984年 セントライト記念(G3) 1984年 |
獲得賞金 | 6億8,482万4,200円 |
登録抹消日 | 1986年12月17日 |
死去 | 2011年10月4日 |
JRAで史上初の無敗で牡馬クラシック三冠馬に輝いたシンボリルドルフ。
1984年には年度代表馬と最優秀4歳牡馬に選出、翌1985年にも同じく年度代表馬と最優秀5歳以上牡馬に選出されるなど、日本調教馬として史上初のG1レース7勝をあげ、日本競馬史上最強と言われる1頭です。
ルドルフが繋靱帯炎を発症したのは、6歳、アメリカ遠征時でした。サンタアニタ競馬場で行われたG1レース、サンルイレイステークス。主戦騎手であった岡部幸雄は、レース直前の調教でルドルフに跨った際、ルドルフの異変をいち早く感じとり、レースの回避を陣営に勧めたものの、受け入れられず出走し、結果6着と敗戦します。
敗戦理由は、左前脚の繋靱帯炎の発症でした。帰国後、一度は改めての海外遠征が検討されたものの実現することはなく、繋靱帯炎を発症したアメリカでのレースが最後のレースとなり、その年をもって引退します。
メジロマックイーン
生年月日 | 1987年4月3日 |
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性別 | 牡 |
父 | メジロティターン |
母 | メジロオーロラ |
母父 | リマンド |
生産牧場 | 吉田堅 |
戦績 | 21戦12勝 |
主な勝ち鞍 | 菊花賞(G1) 1990年 天皇賞(春)(G1) 1991・1992年 宝塚記念(G1) 1993年 阪神大賞典(G2) 1991・1992年 京都大賞典(G2) 1991・1993年 産経大阪杯(G2) 1993年 |
獲得賞金 | 10億1,465万7,700円 |
登録抹消日 | 1993年11月24日 |
死去 | 2006年4月3日 |
史上初の祖父・父・仔による3代連続天皇賞制覇を成し遂げるなど、G1レースで4勝を挙げ、日本競馬で初めての獲得賞金10億円を達成し、史上最強のステイヤーとも呼ばれているメジロマックイーン。
4歳の時に競走能力喪失寸前までの重度の骨折をしてしまうものの、11ヶ月の休養とリハビリの末、明け5歳の春、産経大阪杯で優勝します。その後天皇賞(春)で2着、宝塚記念1着、京都大賞典1着と見事に復活を遂げ、続いて天皇賞(秋)を目指していた頃に繋靱帯炎を発症してしまいます。
復帰には半年以上が必要と診断され、すでに種牡馬シンジケートが結成されていたことから、そのまま引退、種牡馬入りしました。
デアリングタクト
生年月日 | 2017年4月15日 |
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性別 | 牝 |
父 | エピファネイア |
母 | デアリングバード |
母父 | キングカメハメハ |
生産牧場 | 長谷川牧場 |
戦績 | 13戦5勝 |
主な勝ち鞍 | 牝馬三冠(G1) 2020年 |
獲得賞金 | 6億4,413万2,400円 |
登録抹消日 | 2023年10月12日 |
日本競馬史上初となる無敗での牝馬三冠を達成し、最優秀3歳牝馬に選出されたことが記憶に新しいデアリングタクト。
デアリングタクトが最初に繋靱帯炎を発症したのは4歳の時。香港、シャティ競馬場で開催されたクイーンエリザベス2世カップでの3着入線後でした。その後およそ1年間の休養に入り、翌2022年ヴィクトリアマイルで復帰します。
しかし復帰後はこれまで同様の強いレースは見られず、宝塚記念の3着が最高着順でした。
2023年6歳でも現役を続行することが発表され、サウジアラビアへの遠征に向けた調教中、跛行が見られ、精密検査の結果、繋靱帯炎が再発していることが発覚し、陣営の協議の結果引退が決まりました。
繋靱帯炎から復活を遂げた名馬たち
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不治の病と言われ、これまで多くの名馬たちを引退に追い込んできた繋靱帯炎。
しかし、絶望的とも思われた状況から奇跡的な復活を遂げ、再びターフに戻ってきた名馬も存在します。
ここからは、繋靱帯炎から復活し、ターフで活躍した名馬を2頭紹介します。
オグリキャップ
生年月日 | 1985年3月27日 |
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性別 | 牡 |
父 | ダンシングキャップ |
母 | ホワイトナルビー |
母父 | シルバーシャーク |
生産牧場 | 稲葉不奈男 |
戦績 | 32戦22勝 |
主な勝ち鞍 | 有馬記念(G1) 1988・1990年 マイルチャンピオンシップ(G1) 1989年 安田記念(G1) 1990年 ニュージーランドトロフィー4歳ステークス(G2) 1988年 高松宮杯(G2) 1988年 毎日王冠(G2) 1988・1989年 ペガサスステークス(G3) 1988年 毎日杯(G3) 1988年 京都4歳特別(G3) 1988年 オールカマー(G3) 1989年 |
獲得賞金 | 9億1,251万2,000円 |
登録抹消日 | 1991年1月 |
死去 | 2010年7月3日 |
「芦毛の怪物」として知られているオグリキャップ。
笠松競馬場からデビューしJRAでも快進撃を続けるオグリは第二次競馬ブームの立役者であり、その姿は競馬ファンのみならず多くの大衆の目をひき、日本競馬史上で特に人気を博した名馬と言われています。
オグリが繋靱帯炎を発症したのは1988年有馬記念を優勝した翌年の1989年の4月。5歳の時でした。この年は大阪杯、天皇賞(春)、安田記念、宝塚記念とローテーションを組んでいたものの全て白紙となり、前半戦は休養に当てることが発表されました。
温泉療養や超音波治療、プール治療の末、陣営の予想よりも早くに復帰。
そこから4ヶ月で重賞6戦という怪物伝説を決定づける過酷なローテーションをこなすなどし、ラストランの有馬記念を優勝。
G1レースの4勝を含む通算12勝をあげ、現役最終年となった1990年の年度代表馬、最優秀5歳以上牡馬として引退します。
コントレイル
生年月日 | 2017年4月1日 |
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性別 | 牡 |
父 | ディープインパクト |
母 | ロードクロサイト |
母父 | Unbridled’s Song |
生産牧場 | ノースヒルズ |
戦績 | 11戦8勝 |
主な勝ち鞍 | クラシック三冠(G1) 2020年 ジャパンカップ(G1) 2021年 ホープフルステークス(G1) 2019年 神戸新聞杯(G2) 2020年 東京スポーツ杯2歳ステークス(G3) 2019年 |
獲得賞金 | 11億9,529万4,000円 |
登録抹消日 | 2021年12月4日 |
日本競馬史上8頭目(無敗での達成は3頭目)の牡馬クラシック三冠馬のコントレイル。
父である「ディープインパクトの最高傑作」とも言われているとおり、2019年の最優秀2歳牡馬、2020年の最優秀3歳牡馬、2021年の最優秀4歳以上牡馬に選出された名馬です。
コントレイルが繋靱帯炎を発症したのは、2021年の4歳時、大阪杯3着入線後の放牧先でのことでした。コントレイル自身に跛行や痛みは見られなかったものの、エコー検査の結果球節周辺の炎症と内出血が見られ、予定していた宝塚記念の出走を回避します。
コントレイル自身は無症状であり、症状も軽度であったことから繋靱帯炎と診断はされておらず、「疲労が抜けない」という陣営の見立てでした。しかし引退後、この時に軽度の繋靱帯炎を発症していたと発表されています。
宝塚記念を回避した後、夏まではしっかりと休養にあて、8月以降から秋のレースに向けて徐々に調教のペースを上げ始めます。
およそ7ヶ月弱ぶりの復帰レースとなった天皇賞(秋)は2着、引退レースとして位置付けていたジャパンカップで有終の美を飾りました。
ちなみに、先ほど紹介した牝馬のデアリングタクトとは同期の馬で、3歳に挑んだジャパンカップではデアリングタクトと2つ年上のアーモンドアイと対決し、「史上初となる三冠馬3頭の熱演」が実現しています。
繋靱帯炎と名馬のまとめ
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ここまで繋靱帯炎で引退した名馬と復帰した名馬を、繋靱帯炎の症状と原因とあわせて解説してきました。
今回解説したように、繋靱帯炎は症状の軽度・重度の幅が広く、軽度の場合はコントレイルのように数ヶ月で復帰し、また活躍を見せてくれる場合も多くあります。
彼らの復帰までの道のりは長く険しい道のりかもしれませんが、また競馬場で会える日を楽しみに待ちましょう!