これまで日本競馬における多くの名馬たちには冠名(かんむりめい・かんめい)が付けられていました。その冠名は、名馬たちが血をつなげていく限り血統表に残り続けます。
そんな冠名と聞いて、真っ先に思い出されるのは、メジロやダイワといったところでしょうか。
しかし、時代の流れに伴いメジロやダイワといった有名な冠名も馬主業からの撤退によって、今では、その冠名を持つ競走馬がいなくなっています。
そこで今回は、かつてはターフを賑わした名馬たちの消えた冠名と題して、いくつかの冠名と名馬たちを紹介します。
懐かしい名馬たちの登場もあるかと思いますので、是非とも楽しんでください。
そもそも冠名とは?
冠名とは馬主が所有する競走馬の頭や末尾に共通する言葉を入れることです。
冠名の読みははんむりめいだけではなく、かんめいと呼ぶこともあります。また、「冠号(かんむりごう)」と呼ぶこともありますが意味は冠名と同じです。
現在では「サトノ」や「レッド」、「メイショウ」や「ダノン」といった馬が活躍していますが、これらはすべて冠名です。
ちなみに、冠名は必ずつけなければいいというわけではありません。
あくまでも馬主の趣味で設定されています。
また、「セイウン」や「ニシノ」のように一馬主が複数の冠名を使うこともできますし、「レッド」や「ルージュ」のように競走馬の性別に応じて冠名を使い分けるケースもあります。
消えた冠名馬4選
冠名の付いた競走馬は昭和の競馬ブームのころから活躍していましたが、その中には馬主の事情で消えてしまった冠名馬もいます。
ここからは現在存在していないもののかつてターフをにぎわせた冠名の馬を紹介します。
マチカネ軍団
※画像はnetkeibaより引用
冠名の由来は、ホソカワミクロン株式会社の元社長で会長の細川益男氏の母校の裏山が待兼山だったためといわれています。
その細川氏は、1967年に日本中央競馬会の馬主となりました。
初めての愛馬はトサミドリを父に持つマチカネオーといい中央で22戦走り未勝利。その後、馬主となって3年目にマチカネタローで初勝利を挙げました。
そんなマチカネ軍団の有名な競走馬といえば、まずはマチカネタンホイザではないでしょうか。
日本競馬の礎を築いたノーザンテーストを父に持ち1991年にデビューしたマチカネタンホイザは、1995年の高松宮杯(当時G2)を含む重賞4勝を挙げ、中央での生涯獲得賞金は約5億円です。これはマチカネ軍団でもっとも稼いだ競走馬となりました。
マチカネイワシミズは、1986年にデビューし5戦3勝で世代クラシックに名乗りを上げるも骨膜炎を発症し、早期引退となりました。
血統的にも皐月賞馬ファバージを父に持ち、全兄には皐月賞馬ハードバージがいることから引退後は、種牡馬として供用されましたが、繁殖牝馬を集めるため、種付け料は無料に設定。
しかし、それ以上にマチカネイワシミズの名は、1980年代後半から大流行した『ダビスタ』に無料の種牡馬として登場したことで一躍有名になりました。
実際に残した産駒は約50頭あまりだったことを考えると、ゲームの世界で名を挙げた異色の名馬といえますね。
そして、マチカネ軍団で唯一のG1馬といえば、マチカネフクキタルです。1997年に4連勝で菊花賞を制し、細川氏に悲願のG1勝利をプレゼントしました。
その他にもクラシックには縁がありませんでしたが古馬となってから重賞を2勝したマチカネキンノホシや2002年の日本ダービーではタニノギムレットの3着に入ったマチカネアカツキ、細川氏の晩年に重賞を制覇したマチカネオーラ、マチカネ軍団最後の馬として中央・地方合わせて141戦10勝のマチカネカミカゼは、まさにマチカネ軍団の神風となりました。
その後、2010年に細川氏が亡くなると細川氏の娘・祐希子氏が馬主をされていましたが、2019年を最後に所有馬は存在していません。
とても個性ある命名でターフを賑わしたマチカネ軍団。一度、馬名を聞くと忘れにくいほどインパクトがあったマチカネの冠名は、間違いなく日本競馬の一時代を盛り上げましたね。
シンコウ軍団
※画像はnetkeibaより引用
冠名の由来は馬主の安田修氏が経営していた『新興産業株式会社』に由来しています。
安田氏は、1990年に日本中央競馬会の馬主となり、当初は数頭の内国産馬を所有していました。その後は外国産馬に目を向け、数々の活躍馬を輩出しました。
また、1993年と1997年にはリーディングオーナーとして20位以内に入る活躍も見せています。
真っ黒の勝負服が印象的なシンコウ軍団の歴史は、安田氏がまだ馬主歴1年弱という中でシンコウアンクレーが中山大障害・春を制し、重賞初制覇を達成したことから始まります。
そして、シンコウ軍団の代表馬といえばシンコウラブリイではないでしょうか。
血統的に父カーリアン母ハッピートレイルズといった外国産馬で主にマイル・中距離路線で活躍。1993年にはマイルチャンピオンC(G1)を制し、JRA賞最優秀4歳以上牝馬のタイトルを獲得しました。
さらにシンコウラブリイは、日本が誇る名伯楽・藤沢和雄元調教師に初G1タイトルをプレゼントした名牝です。
また、シンコウキングも父フェアリーキングといった外国産馬でした。重賞戦線では善戦が続きましたが、1997年の高松宮杯(G1)にて、初のG1制覇を成し遂げました。なお、鞍上の岡部幸雄元騎手は、このレースでG1通算23勝となりました。
そして、翌年の高松宮記念(この年からレース名が変更)でもシンコウフォレストが制し、シンコウ軍団が同レースを連覇しました。
さらには、1997年からダートG1へと格上げとなり、超不良馬場で行われたフェブラリーS(G1)の初代ダート王に輝いたのもシンコウ軍団のシンコウウインディです。ちなみにこの時も鞍上は岡部幸雄元騎手でした。
他にも芝・ダート問わず重賞2勝を果たしたシンコウスプレンダ、安田氏が最後に所有したシンコウカリドは2001年のセントライト記念(G2)でのちの菊花賞馬となるマンハッタンカフェを破り重賞初制覇を飾りました。
まさに飛ぶ鳥を落とす勢いで日本の競馬史にシンコウの名を刻みましたが、安田氏の会社の経営悪化に伴い、突如2001年に馬主登録が抹消されました。
その結果、シンコウカリドを含む多くの所有馬たちが手放され、シンコウ軍団の歴史は、幕を閉じました。
シンコウ軍団がターフから消えてしまったことは残念ですが、シンコウラブリイをはじめシンコウの冠名を持った血が孫世代、曾孫世代と現在にも受け継がれていることは嬉しいですね。
ダイタク軍団
※画像はnetkeibaより引用
冠名の由来は馬主の中村雅一氏が大阪府寝屋川市で主に不動産売買や仲介、賃貸に建築工事を手がけた『大拓株式会社』が由来とされています。
ダイタクの冠名を持つ競走馬は、1980年から2000年にかけて多く活躍しました。
そんなダイタクといえば、個性派軍団としても知られていますが、中でもダイタクヘリオスがもっとも有名です。
ダイタクヘリオスは、1991年と1992年のマイルチャンピオンC(G1)を連覇しました。さらにダイタクヘリオスの仔ダイタクヤマトは、2000年のスプリンターズS(G1)で最低人気ながらも逃げ切り勝利し、大波乱の立役者となりました。
そんなダイタクヤマトは、父に続いてJRA賞最優秀短距離馬に輝いています。
また、史上初となる京都金杯連覇を成し遂げたダイタクリーヴァは、2000年のマイルチャンピオンCで安藤勝己元騎手を鞍上に迎え、ゴール前でアグネスデジタルに交わされ2着惜敗となりましたが、重賞通算5勝の実績馬でした。
他にもサンデーサイレンスの初年度産駒が活躍を見せる中で皐月賞では1番人気に支持されたダイタクテイオーや2003年の阪神大賞典(G2)や2004年のステイヤーズS(G2)など重賞を3勝し、天皇賞・春や有馬記念など長距離で好走を見せたダイタクバートラムなど、2000年代までダイタクの冠名を持つ競走馬は幅広く活躍を見せましたが、会社の業績が悪化したことで2006年に倒産。
ダイタクの冠名もひっそりと競馬界から姿を消しました。
ビワ
※画像はnetkeibaより引用
冠名の由来は、社名の由来でもある琵琶湖から名付けたビワがそのまま冠名となっています。
元々個人で日本中央競馬会の馬主登録をしていた中島勇氏が法人へと変更したことで会社名の有限会社ビワとして馬主登録がされました。
ビワの冠名を持つ競走馬といえば、何といってもビワハヤヒデですね。
1992年にデイリー杯3歳S(当時G3)を制したことが馬主として重賞初制覇となり、翌1993年の菊花賞(G1)でG1初制覇となりました。
そんなビワハヤヒデは、1993年の年度代表馬に輝いており、史上5頭目の三冠馬ナリタブライアンの半兄としても有名です。
さらにナリタブライアンの全弟でビワハヤヒデの半弟にもあたるビワタケヒデも1998年のラジオたんぱ賞(G3)を制しました。
また、1995年にはビワハイジが阪神3歳牝馬S(G1)を制し、その後、ビワハイジはブエナビスタやアドマイヤジャパンといったJRA重賞勝ち馬を6頭も輩出。これは日本の繁殖牝馬歴代1位となる重賞勝ち馬産駒数です。
そして、2003年には、ビワシンセイキがかきつばた記念(地方交流重賞G3)を制し、所有馬のダートグレード競走初制覇となりましたが、翌2004年に馬主業から撤退されています。
馬主期間は短命でしたが、後世の残る名馬・名牝を輩出したビワ軍団。記録よりも記憶に残る冠名でしたね。
消えた冠名馬のまとめ
今回は、消えた冠名とその主な競走馬たちを紹介しましたが、これは、ほんの一部であり、日本競馬史には、冒頭にも触れましたがメジロやダイワといった冠名を持った名馬たちが多数存在します。
そんな時代の流れとともに消えてしまった冠名は、一競馬ファンとしても非常に残念です。
しかし、その消えた冠名を持つ名馬たちの名は偉大な血を通して、今でも多くの競走馬たちに受け継がれていますので、血が続く限り血統表にその冠名が消えることはありません。
そして、その冠名を見るたび思い出に浸りたくなります。まさに冠名とは馬名にとっても大事な部分だと改めて実感しました。