日本の競馬では、桜花賞・皐月賞・オークス・日本ダービー・菊花賞の総称としてクラシックレースといいます。これは3歳馬限定のレースとして、イギリスの体系にならって創設されたものです。
よって、クラシック三冠とは、皐月賞・日本ダービー・菊花賞の3競走を指しますが、牝馬限定の三冠レースもあります。
桜花賞・オークス・秋華賞がそれにあたりますが、前述の通り秋華賞だけはクラシックレースに含まれていませんので、実は『牝馬クラシック三冠』という呼び名は間違いで正しくは『三冠牝馬』になります。
少し競馬の豆知識となりましたが、その牝馬三冠を達成したのは、日本競馬史上これまで全部で7頭います。
そこで今回は、三冠牝馬に輝いた7頭を紹介します。さらに、この数十年で牝馬が急激に強くなった点も考察しましたので、ぜひ最後までお楽しみください。
なお、三冠牝馬のことを牝馬三冠と呼ぶケースもありますが、どちらも意味は同じです。当記事では文章に合わせて三冠牝馬と牝馬三冠を使い分けています。予めご了承ください。
【初代三冠牝馬】メジロラモーヌ(1986年)
※画像はJRA-VANより引用
日本競馬史上初となる三冠牝馬を達成したのがメジロラモーヌです。
メジロラモーヌは、父モガミ、母はメジロヒリュウ、その父ネヴァービートという血統で、牝馬三冠レースだけではなく、実はトライアルレースもすべて制しています。まさに『完全牝馬三冠』を達成した唯一の牝馬です。
なお、この時代では、まだ秋華賞が創設されていませんでした。よって、エリザベス女王杯が牝馬三冠レースの1つとされ、距離も現行の2200mではなく、オークスと同じ2400mでした。そう考えると、牝馬にとってはかなり過酷な道のりだったのではないかと思われます。
そのような厳しい条件の中で『完全牝馬三冠』を達成したメジロラモーヌは、いったいどれだけのタフさを兼ね揃えていたのかと思うと頭が下がる思いでいっぱいになりますね。
【平成初の三冠牝馬】スティルインラブ(2003年)
※画像はJRA-VANより引用
名牝エアグルーヴの初仔アドマイヤグルーヴと死闘を続け、2003年に17年ぶりの三冠牝馬に輝いたのがスティルインラブです。
ライバル・アドマイヤグルーヴと同じサンデーサイレンスを父に持ち、今でも名手・幸英明騎手といえば、スティルインラブといわれるほどの名コンビで偉業を成し遂げました。
そして、牝馬三冠を達成した翌年以降もアドマイヤグルーヴとの死闘は続きましたが、不思議と古馬になってからはアドマイヤグルーヴに一度も先着することができませんでした。
その後、両馬の戦いは、ともに母になってからも続くと思われましたが、スティルインラブは牡馬1頭をこの世に残しただけで病により急逝しました。今でも偉大な三冠牝馬の血が残っていないことが本当に悔やまれます。
【史上初のクラシック同着三冠牝馬】アパパネ(2010年)
※画像はJRA-VANより引用
2010年に史上3頭目の三冠牝馬となったのがアパパネです。
父にキングカメハメハ、母は中央競馬でも活躍したソルティビッド。その父Salt Lakeという血統背景を持つアパパネは、2歳女王に輝いた翌年に三冠牝馬となり、古馬になってからもヴィクトリアマイルを制するなど、牝馬の一時代を築きました。
そんなアパパネで思い出されるのは、サンテミリオンと死闘を演じたオークスでしょうか。
このレースでは、JRAのG1として史上初となる1着同着という結果に終わりました。
もし、1cmでも差があれば、アパパネの牝馬三冠はありませんでしたので、日本競馬史に深く刻まれた名レースといっても良いのではないでしょうか。
また、アパパネは繁殖牝馬としても優秀で4番仔のアカイトリノムスメが、2021年の秋華賞を制したことで母仔2代G1制覇の偉業も達成しています。
【貴婦人】ジェンティルドンナ(2012年)
※画像はJRA-VANより引用
父ディープインパクト、母ドナブリーニ、母の父にBertoliniという血統を持つジェンティルドンナは、アパパネが三冠牝馬となった2年後の2012年に史上4頭目となる牝馬三冠を達成しました。
ジェンティルドンナといえば、三冠牝馬だけではなく、3歳牝馬として史上初となるジャパンカップを制し、翌年のジャパンカップも勝利しました。なお、ジャパンカップを連覇した競走馬は、これまでジェンティルドンナしかいません。
また、三冠馬コントレイルや日本ダービー馬キズナといった並みいる牡馬たちを抑え、ディープインパクト産駒の中でもっとも稼いだジェンティルドンナが代表産駒に挙げられているのも納得するほど、牡馬顔負けの強さを持った牝馬でした。
【世界レコードを持つ三冠牝馬】アーモンドアイ(2018年)
※画像はJRA-VANより引用
馬名の由来が『美人とされる顔の目の形』と聞けば、可愛らしい牝馬のイメージがありますが、レースになると無類の強さを披露し、2018年の牝馬三冠レースを圧倒的なパフォーマンスで制したのが、アーモンドアイです。
アーモンドアイは、父ロードカナロア、母は2006年のエリザベス女王杯の勝ち馬フサイチパンドラ、その父サンデーサイレンスという血統で生涯成績は15戦11勝という好成績を残しました。
その勝ち星の中には、牝馬三冠だけにとどまらず、無敗の三冠馬シンボリルドルフやディープインパクトでも超えることができなかった芝G1レース7勝という大きな壁を突き抜け、日本競馬史上最多となる芝G1レース9勝も含まれています。
まさに日本が生んだ歴史的名牝だったことは間違いありません。今後は、産駒たちの活躍にも注目したいです。
【史上初となる無敗の三冠牝馬】デアリングタクト(2020年)
※画像はJRA-VANより引用
2020年に史上初となる無敗で牝馬三冠を達成したのがデアリングタクトです。
その血統背景をみますと、父エピファネイアの母は史上初の日米オークスを制したシーザリオです。
また、母のデアリングバードの母デアリングハートは現役時代にシーザリオと2005年の桜花賞で対戦しました。
そんなライバル関係にあった祖母同士の血が後押しされたのでしょうか、デアリングタクトは、新馬戦からリステッド競走のエルフィンステークスを制し、そこから牝馬三冠レースとわずか5戦5勝で牝馬三冠を成し遂げました。
残念ながら、古馬となってからは大怪我もあり、1度も勝つことがないまま、現役引退となりました。今後は、代々名牝の血が受け継がれているデアリングタクトの仔たちに夢の続きを期待したいですね。
【豪脚を持つ三冠牝馬】リバティアイランド(2023年)
※画像はJRA-VANより引用
2023年に史上7頭目の牝馬三冠を達成したのが、まだ記憶に新しいリバティアイランドです。
リバティアイランドは、父にドゥラメンテ、母はオーストラリアのG1を2勝したヤンキーローズでその父がAll Americanという血統です。
デビュー戦で上がり最速31秒4という異次元の末脚を使っていたリバティアイランドは当初から注目を集めていました。
一冠目となった桜花賞では、最後方から一気に他馬をゴボウ抜きし、二冠目のオークスでは距離が長いのではないかと不安視する声もありましたが、終わってみれば2着に6馬身差を付けての勝利は圧巻でした。
そして、三冠目となる秋華賞では最終コーナーで早め先頭に立ち、最後のゴール前では余力を残しての完勝に怪物級と称されました。
古馬混合戦に駒を進めてからは勝ち星に届いていませんが、2023年のジャパンカップはイクイノックスの2着ですし、2024年12月に開催された香港カップでも香港のロマンチックウォリアーには敗れたものの2着入りしていました。
最強クラスの馬には敗れているものの、堅実に好走していることからポテンシャルの高さは相変わらずです。
2025年以降はどのような競馬を見せてくれるか楽しみですね。
三冠牝馬のまとめ~牝馬が強くなった理由~
今回は、牝馬三冠を達成した7頭をご紹介しました。
日本の競馬が本格的に始まって以来、これまで誕生したクラシック三冠馬は全部で8頭。これは約10年に1度のペースで誕生している計算です。逆に三冠牝馬も2023年のリバティアイランドを含め、全部で7頭とそう変わりないようにみえます。
しかし、三冠牝馬の誕生は、2000年までメジロラモーヌのただ1頭だけでしたが、2003年から20年で6頭も誕生しています。
そう考えると、牝馬が急激に強くなったことを感じます。
これには、いくつかの考察がありますが、1つは調教技術の進歩や配合飼料が格段に進歩したこと。それにより、牡馬と同等の調教を行えるようになったことです。
2つ目に牝馬の発情も大きな要因だと考えられます。現代では、ホルモン剤によって発情をコントロールすることが可能になりました。
そして、1番大きな要因として馬場の変化です。
これは、近年の世界競馬に合わせた『パワーよりもスピード』を重要視したことから、芝の硬度が変更されました。
それにより、一般的に牡馬よりも馬体重が軽い牝馬でも対等に戦える牝馬が増えたと考えられています。
さらには、2024年も最強牝馬世代になるのではないかといわれていますし、このような観点からも”強い牝馬の時代”がこれからも続きそうなので、ますます競馬の楽しみが尽きそうにありませんね。