先日、引退発表をされた日本中央競馬会(以下JRAに略)元騎手の藤田菜七子さん。
今でこそ、中央・地方に限らず、女性騎手が増えたことでレースに勝利することも珍しくなくなりました。
ただ、藤田さんがデビューした当時、JRAでの女性騎手は藤田さん1人だったため、その動向は常に注目される存在だったのです。
そんな状況下で藤田さんは、男顔負けのポテンシャルで女性騎手としての記録を次々と塗り替えた、いわば、JRA女性騎手のパイオニアといっても過言ではないでしょう。
そこで今回は、藤田菜七子JRA元騎手について紹介します。
藤田さんが、騎手を目指したキッカケから引退までの功績などを振り返っていきますので、ぜひ最後までご覧ください。
女性騎手のパイオニア!藤田菜七子騎手とは?
藤田菜七子さんは、1997年8月9日生まれ、茨城県出身でJRAの元騎手です。
競馬とは無縁の家庭環境に育ちましたが、小学校6年生の時に馬が走っている姿をテレビの映像で見て格好いいと思ったことが騎手を目指すキッカケになりました。
ちなみに好きな競走馬はダイワスカーレットで好きなレースは、ウオッカとのハナ差決着となった2008年の天皇賞・秋(G1)だそうです。
そんなG1レースという大舞台に立ち勝利することを夢見た藤田さんは、2013年に競馬学校第32期生として入学すると、2016年に卒業後、美浦トレーニングセンターの根本康広厩舎に所属しました。
なお、同期には坂井瑠星騎手や荻野極騎手、菊沢一樹騎手といった現在、若手ホープとして期待されている騎手たちがズラリと並んでいます。
JRAとして16年ぶり7人目の女性騎手誕生に大注目を集めた藤田さん。
デビュー当初のインタビューでは「目標は、リサ・オールプレス騎手(ニュージーランドの女性騎手)です。たくさんの人に信頼され、愛される騎手になれるように頑張りたいです。そして感謝を忘れないようにしたいです。」と心境を語っています。
そして、迎えた2016年3月3日に地方・川崎競馬場でJRAとして16年ぶりの女性騎手としてデビューします。これは“ひな祭りデビュー”として、当時大きな話題となりました。
なお、通常3月1日に騎手免許が交付されると、新人騎手は最短で直近のJRA開催日がデビューとなりますが、藤田さんの場合、注目度が高かったため、異例の地方・川崎競馬場でJRAよりも先に騎手としてのデビュー戦を迎えたのです。
それから2日後の3月5日には中山競馬場の第2レースでネイチャーポイントに騎乗し、JRAデビューを果たしました。
ちなみにJRA所属女性騎手のデビューは2000年にデビューした西原玲奈元騎手以来、実に16年ぶりのことです。
結果は惜しくも2着でしたが、勝ち馬に3/4馬身差まで詰め寄る見せ場を作り、場内の競馬ファンからは大きな歓声と拍手が沸き起こりました。
そして、同月の24日には、地方・浦和競馬場の第3レースでアスキーコードに騎乗し、待望の初勝利を挙げます。
これは”ひな祭りデビュー”となった3月3日から数えて22日目。中央22戦、地方14戦合わせて36戦目での初白星となりました。
また、2004年6月20日に牧原由貴子元騎手が勝利して以来、実に11年9か月ぶりのJRA女性騎手による勝利となったのです。
ただ、騎手としての初勝利は達成したものの、JRAでの勝利は未だありませんでしたがその日はすぐに訪れます。
それは、4月10日、福島競馬場で行われた第9レースにて、単勝2番人気のサニーデイズに騎乗したことです。
レースでは、2番手を追走し、最終コーナーで先頭に立つと、そのまま力強く押し切ってゴール板を通過。こうして、JRAでのデビューから51戦目にしてうれしいJRA初白星を挙げました。
JRAでの初勝利を飾った藤田さんは「スタートが良かったし、何かが行けばそれを見ながら行こうと思っていました。休み明けでしたが、すごく状態が良かった。相沢先生をはじめ、スタッフの方がうまく仕上げてくれたおかげです。」と待望の初勝利に満面の笑みを見せたのです。
藤田菜七子騎手が競馬界に残した功績
JRA初勝利を挙げると同じ年の11月13日には、アラブ首長国連邦のアブダビ競馬場で行われたファティマ・ビント・ムバラク妃殿下主催の「ワールドレディースチャンピオンシップ」第15戦ファイナルにエーエフアルヘイザールで参戦します。
これが藤田さんにとって、初の海外レース出走となりました。
ただ、結果は15頭立ての7着に終わりますが、間違いなく貴重な経験になったと思います。
その後、20年ぶりに女性騎手として、JRA年間10勝を達成。また、JRA女性騎手の年間最多勝記録を更新、女性騎手の1節最多騎乗記録更新するなど、女性騎手の記録を次々に更新する活躍をみせました。
そして、G1レースに騎乗可能な通算31勝に到達すると、2019年2月17日のフェブラリーステークス(G1)では、コパノキッキングに騎乗。
結果は5着と掲示板を確保したことも凄いですが、これは、JRA所属女性騎手としては初のG1レース騎乗という快挙となりました。
余談ですが、2024年12月時点でG1レースに騎乗した女性騎手は2名います。
藤田菜七子騎手のあとにデビューした永島まなみ騎手が2023年と2024年の阪神JFに、今村聖奈騎手が2022年と2023年のホープフルステークスに2年連続で騎乗しています。
永島まなみ騎手は2024年12月8日のスリールミニョンに騎乗して5着入りし、2024年12月の時点で女性騎手のG1最高着順は5着となっています。
話を戻すと、2019年は藤田さんにとって大きな飛躍の年となります。
まず、6月にはスウェーデンで行われた女性騎手によるワールドカップにて、総合優勝を果たすと、新潟競馬では年間20勝を挙げ、2位の戸崎圭太騎手(13勝)を大きく引き離し、新潟競馬のリーディングジョッキーを獲得。
なお、女性騎手が競馬場の年間リーディングを獲得することは、JRA史上初の記録です。
また、10月2日に大井競馬場で開催された東京盃(Jpn2)では、1番人気に支持されたコパノキッキングに騎乗し、レースでは、抜群のスタートから先手を奪うと、軽快なリズムで終始逃げをみせ、最後の直線では独走状態となり、2着のブルドッグボスに4馬身差をつけて圧勝。
これは、中央・地方で格付けが統一されたダートグレード競走、いわゆる交流重賞を女性騎手が制したことも史上初の快挙となりました。
その勢いのまま、次走は、12月8日に中山競馬場で行われたダート重賞のカペラステークス(G3)にコパノキッキングと出走。
ここでは、2番人気に支持され、持ち味の好スタートから先頭集団に付けると、最終コーナーでは、外に回して末脚勝負に出ます。
そして、残り100メートル付近でさらにスピードを上げ、前を走るレッドアネラを交わすと、58キロの斤量もものともせず、最後は2着のテーオージーニアスに2馬身半差を付けて圧勝。
東京盃での女性騎手による交流重賞初勝利に続き、日本競馬史上初となる女性騎手によるJRA重賞制覇という歴史的快挙になりました。
また、この翌週には、JRAと地方交流を合わせ通算100勝も達成(JRAのみでは2020年4月25日に到達)と2019年は藤田さんにとって、もっとも輝いた年となったのです。
しかし、この年を境に成績は低迷してしまい、最終的にはJRAにて166勝、重賞1勝という成績を以て、突然、鞭を置く形となったことは残念で仕方ありません。
まとめ
今回は、JRA史上7人目であり、16年ぶりの女性騎手として大活躍した藤田菜七子元騎手について紹介しました。
女性騎手初の重賞勝利や年間勝利数など、JRA所属女性騎手の記録を次々と更新し、女性騎手の新たなパイオニアとして大活躍をみせた藤田さん。
その後、2024年7月にJRA職員との結婚を発表し、さらなる飛躍を誓った中、突然の引退発表は、日本の競馬界にとって、衝撃的なニュースとなりました。
しかし、藤田さんの背中を追うようにして、2021年3月には、永島まなみ騎手、古川奈穂騎手、翌2022年には今村聖奈騎手、2023年には小林美駒騎手、河原田菜々騎手が、女性騎手としてデビューしています。
藤田さんの引退は非常に残念ですが、今後は、数多くの後輩女性騎手たちが、藤田さんの敷かれた”女性騎手でも活躍できる”といったレール上で活躍することに期待したいですね。