JRA通算1,300勝以上、G1レース45勝の実績を誇る名手・M(ミルコ).デムーロ騎手が、2025年7月からアメリカ競馬に挑戦します。
主戦場はカリフォルニア州のデルマー競馬場とされ、当面は3カ月の予定ですが、延長の可能性もあるとのことです。
JRA通年免許を取得してから11年目の節目を迎えた今年、「空気を変えたい」「もっと乗りたい」という本人の言葉どおり、再び海外で自分を磨くことを決断しました。
今回の記事では、彼のキャリアや過去のアメリカ経験、契約したエージェント、現地環境、そしてファンの反応まで、デムーロ騎手のアメリカ挑戦の背景と今後の展望を詳しく掘り下げます。
M.デムーロ騎手の輝かしいキャリア

アメリカ挑戦という新たな一歩を踏み出すデムーロ騎手ですが、その決断の裏には、これまでの輝かしいキャリアに裏打ちされた「飽くなき向上心」があります。
日本競馬においてトップジョッキーとして長く君臨し、G1レースで数々の名勝負を繰り広げてきた実績は、いまでも多くのファンの記憶に残っています。
全盛期にはC.ルメール騎手をも凌ぐ勢いで勝ち星を積み重ねており、ただの外国人騎手という枠を超えた、日本競馬の象徴的存在のひとりといえるでしょう。
最初に、日本におけるデムーロ騎手の活躍について解説します。
ネオユニヴァース・エイシンフラッシュ・ドゥラメンテとの名コンビ
デムーロ騎手は、日本競馬を彩った数々の名馬と名コンビを築いてきました。
2003年のネオユニヴァースとのコンビでは皐月賞・日本ダービーのクラシック二冠を達成し、外国人騎手として初の快挙を達成、2015年にはドゥラメンテとのコンビで再び皐月賞・ダービーの二冠を制し、その勢いを証明しました。
さらに忘れてはならないのが、2012年の天皇賞(秋)でエイシンフラッシュに騎乗した一戦です。
このレースは天覧競馬で、天皇皇后両陛下が観戦されている中、デムーロ騎手は東京競馬場の長い直線で末脚を引き出し、勝利しました。
レース後、馬を下りて膝をつき、ヘルメットを胸にあてて深々と敬礼する姿は、競馬ファンだけでなく多くの日本人に感動を与えました。
この行為はJRAの規則上は異例でしたが、天皇陛下への最大級の敬意として認められ、騎手としての技術だけでなく人間性にもスポットが当たるきっかけとなりました。
デムーロ騎手は、ただ勝利するだけでなく、その一つ一つの勝利をドラマに変える騎手でもあるのです。
外国人初の通年免許取得者としての足跡
2015年、デムーロ騎手は外国人騎手として史上初となるJRA通年騎手免許を取得しました。
それまでは短期免許による期間限定の騎乗が主流でしたが、デムーロ騎手とルメール騎手の合格を機に、JRAはよりグローバルな姿勢を見せるようになります。
通年免許を得たことで、JRAの重賞戦線に継続して騎乗できる体制が整い、結果として年間を通じてコンスタントにG1戦線で存在感を示しました。
特に2015年には年間118勝を挙げ、当時のルメール騎手(112勝)を上回る勝利数を記録し、同時に通年免許を取得した年に年間勝利100勝を達成しています。
その活躍は単なる“助っ人外国人”の枠を超え、JRAの競馬界における「常連」としての地位を確立したことを意味しています。
日本競馬における外国人ジョッキーの在り方を変えた、象徴的な存在といえるでしょう。
なぜデムーロ騎手は今、アメリカを選んだのか?

日本競馬のトップで長く活躍してきたデムーロ騎手が、なぜこのタイミングで海を渡る決断を下したのでしょうか。
その背景には、自身のキャリアへの危機感や、過去の経験に基づく原点回帰の想い、そして新たな刺激を求める気持ちがあります。
ここでは、本人のコメントをもとに、4つの視点からその理由を読み解いていきます。
「空気を変えたい」──46歳の決意と本音
今回の渡米について、デムーロ騎手自身が最も強く語っているのが「空気を変えたい」という率直な思いです。
JRAの通年免許を取得してから11年目。実績としては申し分のないキャリアを築いてきましたが、本人のなかには現状に対する停滞感があったようです。
「もう46歳じゃなくて、まだ46歳」と表現し、武豊騎手(56歳)や横山典弘騎手(57歳)のように年齢的にもまだまだ乗れることを証明したい気持ちが強く伝わってきます。
一度日本での活動を離れ、まったく異なる環境に身を置くことで、騎手としての感性をもう一段階引き上げたいという意図が感じられます。
騎乗数減少と“もっと乗りたい”という願望
近年、デムーロ騎手はかつてほど騎乗機会に恵まれていません。
リーディング上位に顔を並べる回数も減り、競馬ファンの間でも「最近あまり見かけない」といった声が増えてきました。
本人もインタビューやコラムのなかで「もっとレースに乗りたい」という思いを繰り返し語っており、現状へのもどかしさがにじんでいます。
日本では騎乗枠の争いが激化しており、若手や人気外国人騎手との競争がさらに厳しくなっている状況です。
そうした環境を一度離れ、アメリカに活路を見出そうとする選択は、ある意味自然な流れともいえます。
若き日の修行地、アメリカへの原点回帰
デムーロ騎手は、若い頃にもアメリカで騎乗経験を積んでいた過去があります。
当時は名手ジェリー・ベイリーに憧れ、アメリカの競馬文化に深い影響を受けたと語っています。
自身の騎乗スタイルについても「アメリカで学んだものが基礎になっている」と断言しており、今回の挑戦は原点に立ち返る意味を持っています。
また、当時の経験から、アメリカの馬場や競馬運営、レースの進行に対する適応力も持ち合わせている点が強みとなります。
11年に及ぶ日本でのキャリアを一度リセットし、改めて“鍛え直す”覚悟がうかがえる決断です。
娘の留学先がアメリカに決まった
本人から明言されているわけではありませんが、デムーロ騎手の娘がアメリカ留学を控えていることも、今回の渡米と無関係ではなさそうです。
デムーロ騎手のコラムでは「娘の行き先は抽選で決まる」「ハワイやロサンゼルスだといいな」といったコメントがあり、関心を寄せている様子がうかがえます。
家族と離れての生活になるとはいえ、同じアメリカという国に身を置くことで、精神的な距離を少しでも縮められると感じた可能性もあります。
あくまで憶測の域は出ませんが、家族の将来を見据えた柔軟な決断である可能性も否定できません。
イタリア出身騎手たちとの再会も後押しに

今回のアメリカ遠征は、単なる「環境の変化」や「実戦機会の増加」にとどまらず、心強い仲間たちとの再会が後押しとなっていることも大きなポイントです。
デムーロ騎手にとってアメリカは、若い頃に学び、憧れを抱いた場所であると同時に、同じルーツを持つ騎手たちが現在も活躍している場所でもあります。
気心の知れた同郷の騎手たちと再び同じ舞台に立てることが、今回のチャレンジに確かな自信と期待を与えているといえます。
ここからは、同郷騎手のアメリカにおける活躍について解説します。
デットーリ騎手やリスポリ騎手の存在
アメリカ西海岸には、デムーロ騎手と同じイタリア出身のL.・デットーリ騎手やU.リスポリ騎手が活動の拠点を置いています。
デットーリ騎手は53歳で渡米してからも活躍しており、世界的な名手として近年は米国競馬でも高い評価を受けています。
また、リスポリ騎手もカリフォルニアの地で安定した騎乗数を確保し、2025年にはジャーナリズムという馬に騎乗し、イタリア人騎手として史上初となるアメリカ三冠のプリークネスステークスを勝利しました。
リスポリ騎手も活躍も世界の競馬ファンからも広く支持を集めています。
こうした同郷のトップ騎手たちが活躍している環境に加わることで、デムーロ騎手にとっては「馴染みやすさ」や「安心感」といった要素も加わります。
言語や文化の壁を越え、すでに信頼関係のある仲間がいることで、異国での生活や騎乗にもスムーズに適応できると考えられます。
実力に加え、人とのつながりも重視するデムーロ騎手にとって、これは大きな支えとなるでしょう。
木村和士との交流もスタート
カナダを拠点に活躍し、アメリカでも騎乗機会を広げている木村和士騎手とも、SNSを通じた交流が生まれています。
木村騎手はもともと日本の競馬学校に入学しており、同期の西村淳也騎手と育んでいましたが、一身上の都合で退学し、カナダに単身渡って騎手として結果を残しました。
デムーロ騎手はコラムで、木村騎手からインスタグラムを通じて「ごはん行きましょう!」とメッセージが届いたことを明かしており、そのやりとりに親しみを感じた様子がうかがえます。
二人はまだ直接会ったことはないものの、木村騎手の活躍は高く評価されており、アメリカ競馬の中でも確実に地位を築きつつあります。
新天地で信頼できる若手日本人騎手と情報を交換し合えることは、デムーロ騎手にとっても心強い要素になるはずです。
こうした国境を越えたジョッキー同士の連携は、海外遠征において孤立を防ぎ、実力を発揮する上でも大きな力になります。
デムーロ騎手は大物エージェントと契約

アメリカ競馬で活躍するには、騎手本人の技術だけでなく、エージェントの存在も重要です。
どの馬に乗るか、どの厩舎やオーナーと関係を築くかは、エージェントの手腕に大きく左右されます。
デムーロ騎手は、今回の渡米にあたってアメリカ競馬界の“名マネージャー”との契約を結んでおり、現地での活動にも万全の体制で臨もうとしています。
大物エージェントについて、詳しく解説します。
エージェントはピンカイ.Jrらを支えたトニー・マトス氏
デムーロ騎手がアメリカで契約したエージェントは、カリフォルニア競馬界では伝説的存在ともいえるトニー・マトス氏です。
マトス氏は過去に、通算9,500勝を挙げたL.ピンカイ.Jrや、名手K.デザーモのマネジメントを担当してきた人物です。
エージェントの力が騎手の成績を左右するとされるアメリカにおいて、これ以上ない心強いパートナーといえるでしょう。
騎乗依頼を得るためには、厩舎やオーナーとのネットワークが不可欠ですが、マトス氏はその点でも非常に強い影響力を持っています。
実績と信頼に裏打ちされた彼との契約は、デムーロ騎手が本気でアメリカで結果を出す覚悟を持っていることの表れです。
このタッグがどのような成果を上げるか、今後のレース結果にも注目が集まります。
主戦場はデルマー→サンタアニタ、週4開催で実戦豊富
デムーロ騎手が活動の拠点とするのは、まずカリフォルニア州のデルマー競馬場です。
デルマーの夏開催(サマーミート)は例年木曜〜日曜の週4開催で行われ、1日あたり8〜11レースが組まれており、非常に騎乗機会が豊富です。
日本では近年騎乗数が限られていたデムーロ騎手にとって、この実戦量はまさに求めていた環境といえます。
夏のデルマー開催が終了した後は、同じく西海岸のサンタアニタ競馬場へ拠点を移す可能性が高いとされています。
サンタアニタも年間を通して多くのレースが組まれる拠点であり、トップ騎手たちがしのぎを削る舞台です。
質・量ともに充実したレース環境のなかで、再び一流ジョッキーとしての地位を築くために挑戦を重ねることになります。
渡米は“通過点”か?今後の展望

今回のアメリカ挑戦は、デムーロ騎手にとって“引退への準備”でも“最後の花道”でもありません。
むしろ、「まだ終わっていない」という本人の言葉どおり、新たなステップとしての“再出発”に近い意味合いがあります。
3カ月の期間限定ではあるものの、現地での手応えや環境によっては延長の可能性もあるとされており、今後の動向にも注目が集まります。
ここからは、渡米後の展望について解説します。
渡米期間は3カ月予定、延長の可能性もあり
デムーロ騎手は、今回の渡米について「まずは3カ月間」と明言しています。
これはアメリカ西海岸・デルマー競馬場で行われる夏開催の期間に合わせたもので、7月中旬に出国し、10月中旬までを一区切りとする見通しです。
ただし、本人はコラム内で「その後は考えて決める」「延びるかもしれない」とも語っており、現地での手応えや騎乗環境によっては滞在を延長する可能性も十分にあります。
特にデルマー後に始まるサンタアニタ開催では、注目度の高い重賞も多数組まれており、活躍次第ではより多くのチャンスが広がるでしょう。
短期間の遠征に留めるのか、それとも第二のキャリアとして本格的に米国を拠点とするのか──その決断はこれからの結果と経験に委ねられています。
再びJRAで活躍する日を待つファンたち
SNS上では、「寂しいけど応援してる」「絶対パワーアップして戻ってきて」「G1で勝つ姿がまた見たい」といったコメントが多く寄せられています。
デムーロ騎手が日本競馬で築いてきた信頼や人気は非常に厚く、その姿をもう一度JRAの大舞台で見たいと願うファンは今も数多く存在します。
本人も「日本は一番好きな国」と明言しており、JRAから完全に離れる意図があるわけではないことがうかがえます。
今回のアメリカ挑戦が“通過点”であるならば、ひと回り成長した状態でのJRA復帰が期待されます。
ファンの声援とともに送り出されたこの挑戦が、再び日本で輝く日の土台となることを、多くの競馬ファンが願っています。
デムーロ騎手の渡米:まとめ

デムーロ騎手のアメリカ挑戦は、これまでの実績に安住せず、46歳にしてなお進化を目指す強い意志の表れです。
若き日の原点であるアメリカに戻り、大物エージェントとのタッグや同郷の仲間たちとの再会など、新たな環境で再び自らを鍛え直そうとしています。
騎乗機会を求めて飛び込んだ米国の地で、どんな成果を残すのか注目が集まります。
そして、日本のファンは「またJRAで輝く姿を見たい」と、温かい声援を送り続けています。