「DDSP(軟口蓋背方変位)」という言葉を聞いたことはありますか?
競馬歴の長いファンでも、見聞きする機会が少なく、その正体をしっかり理解している人は意外と多くありません。しかし、この症状は競走馬のパフォーマンスに大きく影響を及ぼすことがある、非常に重要な疾患のひとつです。
とくに、レース中に「ゴロゴロ」といった異音を発する馬がいた場合、DDSPの可能性が疑われることがあります。これは単なるクセや一過性の問題ではなく、喉や気道に関わる構造的な問題によって引き起こされるもので、専門的な知識がないと見過ごされがちです。
本記事では、DDSPとは何か?その原因や症状、治療法は? さらに「喉なり」との違いや、実際にこの疾患を乗り越えてG1戦線で活躍した名馬「タスティエーラ」の例まで、初心者にもわかりやすく丁寧に解説していきます。
この記事を読めば、きっと今まで以上に競走馬の健康状態や背景にも目を向けるようになり、競馬の見方がグッと深まるはずです。それでは、DDSPについて詳しく見ていきましょう。
DDSP・軟口蓋背方変位とは?

DDSPですら聞き馴染みのない英語の文字列なのに、軟口蓋背方変位という日本語でさらにハテナマークが頭に浮かぶことでしょう。
DDSPとは、(Dorsal=背方 Displacement=変位 Soft Palate=軟口蓋)の略です。
この章では、そもそもの「軟口蓋」とは?といった競走馬の体の器官についての紹介から、DDSPの症状や原因を解説していきます。
そもそも「軟口蓋」とは?
人間にも馬にも、鼻と口を仕切っている硬口蓋という部位があります。
舌を口の天井に当てると固さを感じる部分がありますが、これが硬口蓋です。そしてそのまま口の天井部分を奥の方になぞっていくと、柔らかい部分に行きつきます。これが軟口蓋です。
そしてこの軟口蓋と喉頭蓋をもってして「喉」になります。
人間にも馬にも存在する軟口蓋と喉頭蓋ですが、その構造には違いがあります。人間の場合は軟口蓋と喉頭蓋は2つに別れていますが、馬の場合は軟口蓋の上に喉頭蓋が存在します。
馬が口呼吸ができず鼻呼吸しかできない理由が、まさにこの軟口蓋の上に喉頭蓋がぴったりと乗っていて、口と鼻の密閉性を保っているからなのです。
さて、それでは次の章から、いよいよDDSP・軟口蓋背方変位について解説していきます。
DDSP・軟口蓋背方変位の症状について
DDSP・軟口蓋背方変位の症状は、主に走行中に「ゴロゴロ」と喉が鳴ることが挙げられます。
これは、通常喉頭蓋の下に位置している軟口蓋が、喉頭蓋の上方(背方)に変位することによるものです。
「ゴロゴロ」という異音の他にも、運動中に頻繁に嚥下する仕草を見せたり、咳き込んだりするといった症状も確認されています。
また、DDSP・軟口蓋背方変位の症状の特徴として、安静時にはその症状は見られず、運動時のみ症状が見られます。これを「動的疾患」と言います。
そのため、安静時には「ゴロゴロ」といった異音は確認されないだけでなく、安静時の内視鏡検査や臨床検査においても、異常が確認されることはないのです。
喉なりとDDSP・軟口蓋背方変位の違いは?
喉から異音がする症状は、喉なりとDDSP・軟口蓋背方変位も同じですが、筋肉の神経系の異常からなる喉なりは、気道が狭くなり、取り入れられる空気の量が極端に減ってしまうため、直接的に競走パフォーマンスに影響を及ぼしてしまうのに対し、身体の器官がDDSP・軟口蓋背方変位は、取り入れられる空気の流れは阻害されるものの、競走パフォーマンスを妨げるほどの要因にはならないとされています。
しかし一方で、少なからず気道が塞がる瞬間はあるため、激しい競走中やトレーニング中などは特に発生する可能性が高く、競走パフォーマンスが低下する原因になるとも言われています。
様々な説が飛び交うように、DDSP・軟口蓋背方変位はまだまだ解明されていないことが多くあります。
DDSP・軟口蓋背方変位の原因
先ほど解説したように、DDSP・軟口蓋背方変位は未だ解明されていないことが多くあり、発症の原因もその1つです。
医療技術が発達した現代において、いくつかの筋肉や神経系の異常や機能不全がDDSP・軟口蓋背方変位の原因になることが判明しているものの、鼻や口、喉などの器官の構造はとても複雑であり、さらに複数の筋肉や神経系が同時に発症の原因にもなり得るという可能性もあります。
また、かなり稀ではあるものの、軟口蓋や喉頭蓋に腫瘍や嚢胞、軟骨の変形などの構造的要因で、たとえ安静にしていたとしても発症する場合も報告されています。
このように、DDSP・軟口蓋背方変位は複雑かつ不透明な要因が重なって発症する病気です。
DDSP・軟口蓋背方変位発症による影響
DDSP・軟口蓋背方変位が発症したことによる影響は、先ほど解説したとおり、軟口蓋と喉頭蓋によって形成される気道が狭くなることで空気を上手に取り入れられず、激しい競走やトレーニングを行った際のパフォーマンスが落ちる可能性があることです。
また、若駒が発症した場合は、馬体の成長をよく観察し慎重に治療やトレーニングを重ねなければいけないため、デビューするのが遅くなる傾向にあります。
このような影響を及ぼすDDSP・軟口蓋背方変位はどのように治療していくのか、次の章で解説していきましょう。
DDSP・軟口蓋背方変位の治療方法

DDSP・軟口蓋背方変位の治療報告はこれまで多くされてきたものの、果たしてそれが適切な治療の結果だったのかを評価・判断するのは難しいと言われています。
もちろん、発症した原因にあわせて治療を進めていくのですが、たとえば2歳になりある程度馬体が成熟してくると自然と治癒する場合も多く確認されているからでしょう。
この章ではそんなDDSP・軟口蓋背方変位の治療方法を解説していきます。
非外科的治療
若駒において、喉頭炎などによる気道の炎症が起きることは珍しくなく、その炎症によって軟口蓋や喉頭蓋などの周辺の神経や筋肉の機能を阻害し、結果的にDDSP・軟口蓋背方変位の発症確率を高めてしまうことが判明しています。
この場合の治療方法として有効とされているのは、抗炎症療法です。
全身性抗生物質を投与する場合もあれば、喉スプレーや吸入器による局所治療など、その治療方法は様々です。
症状が中程度から重度の場合は、全身性抗生物質の投与と、喉スプレーなどの局所治療を計画的に2〜4週間行います。
その後およそ1ヶ月を目安に、安静と軽い運動を行いながら、病状を定期的に評価・判断します。
外科的治療
軟口蓋の変位によって引き起こされるDDSP・軟口蓋背方変位ですが、外科的治療によって、軟口蓋の硬さやハリを増加させる治療方法も存在します。
これにより軟口蓋の強度が高まり、激しい運動をしたとしても発症リスクを抑える効果があるとされています。
DDSP・軟口蓋背方変位の予防方法

DDSP・軟口蓋背方変位は、馬具を利用して発症を予防する場合もあります。
主に利用される馬具は下記のとおりです。
- リングビット
- コーネルカラー
- 舌しばり
これらの馬具はどれも舌の動きを抑える馬具であり、これにより気道が確保され空気の通り道を作り出すことを目的とされています。
DDSP・軟口蓋背方変位を乗り越えた活躍馬

ここからは、DDSP・軟口蓋背方変位を乗り越えた活躍馬たちを紹介していきます。
今回紹介する馬は、2023年の日本ダービーを勝利したタスティエーラです。
タスティエーラ
生年月日 | 2020年3月22日 |
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性別 | 牡 |
父 | サトノクラウン |
母 | パルティトゥーラ |
母父 | マンハッタンカフェ |
生産牧場 | ノーザンファーム |
戦績 | 12戦4勝 |
主な勝ち鞍 | 日本ダービー(G1) 2023年 クイーンエリザベス2世カップ(G1) 2025年 弥生賞ディープインパクト記念(G1) 2023年 |
獲得賞金 | 7億4,225万1,300円 |
タスティエーラは2022年11月にデビュー戦を勝利で飾り、翌2023年の皐月賞(G1)2着、東京優駿(G1)1着、菊花賞(G1)2着と、その年のクラシック戦線で大きな活躍をしたタスティエーラは、DDSP・軟口蓋背方変位に悩まされた1頭です。
タスティエーラは当初からDDSP・軟口蓋背方変位の症状があらわれていました。そして実は、ダービーを優勝した頃であってもその症状は改善されていなかったのです。
DDSP・軟口蓋背方変位が改善の兆しを見せたのはダービー優勝後、菊花賞までのおよそ5ヶ月の間でした。これまで必ずと言っていいほど追い切りの後にはDDSPの症状が見られていたものの、この期間でそれが全く見られなくなったのです。
管理する堀調教師も「年齢を重ねて改善してきている」と発言したとおり、距離延長を心配されていた菊花賞(G1)を2着と好走します。
最近の戦績では、2024年12月、初めての海外遠征となった香港で行われた香港カップ(G1)も3着と結果を残しています。
そして、2025年には香港で開催されたクイーンエリザベスカップ(G1)を優勝し、久々にG1タイトルを手にしました!
香港の勝利をきっかけに完全に復活したタスティエーラ。今後の活躍にも注目したいです!
DDSP(軟口蓋背方変位)のまとめ

ここまでDDSP・軟口蓋背方変位について、軟口蓋などの競走馬の身体の器官から、その症状や原因、治療方法を解説してきました。
これまであまり聞いたことのない病気だったかと思いますが、この記事を読んで、少しでも競馬についての知識を深めるお手伝いができれていれば幸いです。
それでは、良い競馬ライフを!