屈腱炎とは? 原因や不治の病と言われる理由を紹介【復活を遂げた名馬も解説】

ガラスの脚とも言われるように、サラブレッドの脚はとても繊細で、常に骨折などのケガや病気のリスクが心配される動物です。

今回解説する屈腱炎も、サラブレッドが発症する病気のひとつ。この記事では、不治の病と言われている屈腱炎から復活を遂げた名馬たちの紹介と合わせ、屈腱炎の発症の原因と不治の病と言われている理由について解説します。

目次

屈腱炎の原因とは? 不治の病と言われている理由

競走馬のケガは骨折や蹄葉炎、疝痛などさまざまな種類のケガや病気がありますが、屈腱炎もその中のひとつです。

この章では屈腱炎の原因と、不治の病と言われている理由を解説します。

そもそも屈腱炎とはどんな病気?

(出典:馬の骨格と人間の骨格の違い「馬は爪先立ち?」 | GORON by ペット共生アドバンスネット)

屈腱炎は、競走馬が罹患する病気で最も多くの人が耳にしたことがある病気かもしれません。

一度患ってしまうと長期休養を余儀なくされるだけでなく、最悪の場合は引退まで追い込まれ、ニュース等で大きく報道されるからです。

サラブレッドには、人間でいうところの足関節、アキレス腱にあたる、屈腱という腱があります。

この屈腱はコラーゲンでできた細い繊維が束になって腕節と指骨(後脚の場合は飛節と趾骨)を繋いでおり、この繊維の一部が断裂したり変形することで、その患部に炎症や発熱を起こすのが屈腱炎です。

屈腱炎の原因は?

サラブレッドは時速60kmで走った場合、腱には1トンを超える負荷がかかるとされており、その継続的かつ反復的にかかる負荷によって腱繊維が断裂または変形して、屈腱炎が引き起こされると言われています。

しかし、最近では腱にかかる負荷による断裂や変形は、屈腱炎発症の最終的なトリガーに過ぎず、それ以前の段階で腱繊維に異常が起きており腱そのものが弱くなることが原因とされています。

ただ、なぜ腱繊維そのものが弱くなるのか、根本的な原因がわかっていないのも屈腱炎の特徴です。

屈腱炎が不治の病と言われている理由

屈腱炎を発症してしまうと、治癒するまで早くて数ヶ月、長くて数年かかる場合があります。

また、患部が元の強度や運動能力まで戻ることはごく稀であり、炎症や痛みが引いてトレーニングや競走を再開すると再発する場合が多くあります。

これらの理由から屈腱炎は「不治の病」や「競走馬のガン」とも言われています。

現在では、患部以外から採取した幹細胞を培養し、患部に注入する「幹細胞移植」という治療法の研究が進んできています。

しかし、復帰までは年単位の長期間を要することや、その間の飼葉費などの飼育費がかかることなどから、実際に幹細胞移植の施術を受けられるのは、これまでG1などの大レースや復帰後の活躍を見込まれる馬に限られているのが現状です。

また、たとえ治癒し、また走れるようになったとしても、先ほど解説したとおり元の強度や運動能力に戻る可能性が低いため、屈腱炎を発症した時点で引退する名馬もこれまで多く存在します。

屈腱炎が原因で引退した名馬たち

これまで数多くの名馬が屈腱炎のために泣く泣く引退しました。

引退に至った名馬の例を紹介します。

馬名主な勝ち鞍
ナリタタイシン皐月賞(G1) 1993年
ウイニングチケット日本ダービー(G1) 1993年
ビワハヤヒデ菊花賞(G1) 1993年
ナリタブライアンクラシック三冠 1994年
フジキセキ朝日杯3歳ステークス(G1) 1994年
マヤノトップガン有馬記念(G1) 1995年
アグネスタキオン皐月賞(G1) 2001年
マンハッタンカフェ有馬記念(G1) 2001年
タニノギムレット日本ダービー(G1) 2002年
ダイワスカーレット有馬記念(G1) 2008年
ディープスカイ日本ダービー(G1) 2008年
アパパネ牝馬三冠 2010年
キズナ日本ダービー(G1) 2013年
ジャスティンミラノ皐月賞(G1) 2024年

屈腱炎から奇跡の復活を遂げた名馬たち

不治の病と言われ、これまで多くの名馬たちを引退に追い込んだ屈腱炎ですが、奇跡とも言える復活を遂げた名馬も存在します。

本章では奇跡の復活を遂げた下記3頭の名馬を紹介します。

  • カネヒキリ
  • オフサイドトラップ
  • サンライズペガサス

カネヒキリ

生年月日2002年2月26日
性別
フジキセキ
ライフアウトゼア
母父Deputy Minister
生産牧場ノーザンファーム
戦績23戦12勝
主な勝ち鞍ジャパンダートダービー(G1) 2005年
ダービーグランプリ(G1) 2005年
ジャパンカップダート(G1) 2005・2008年
フェブラリーステークス(G1) 2006年
東京大賞典(Jpn1) 2008年
川崎記念(Jpn1) 2009年
ユニコーンステークス(G3) 2005年
マーキュリーカップ(Jpn3) 2010年
獲得賞金8億5,161万3,000円
登録抹消日2010年9月17日
死去2016年5月27日

ジャパンカップダートやフェブラリーステークスなどを制し、2005年と2008年のJRA最優秀賞ダートホースに選出されたカネヒキリ。現役時代は砂のディープインパクトとも呼ばれたカネヒキリも、屈腱炎に悩まされた名馬のうちの1頭です。

2005年、ジャパンダートダービーやダービーグランプリを制覇し、3歳ダートG1二冠に輝き、その年のJRA最優秀ダートホースに選ばれたものの、翌2006年に屈腱炎を発症し、長期休養に入ります。

年が明けた2007年、症状の改善が見られたため、武蔵野ステークスでの復帰を目指し調整を続けていたものの再び屈腱炎を発症し、改めての休養が余儀なくされました。

そして2008年、長い療養とリハビリを終え、2年4ヶ月ぶりにレースへ復帰します。

復帰戦となった武蔵野ステークスでは9着に敗れたものの、その後のジャパンカップダート、東京大賞典、川崎記念とダートG1を3連勝するなどの快進撃を続け、見事に復活を遂げました。

オフサイドトラップ

生年月日1991年4月21日
性別
トニービン
トウコウキャロル
母父ホスピタルティ
生産牧場村本牧場
戦績28戦7勝
主な勝ち鞍天皇賞(秋)(G1) 1998年
七夕賞(G3) 1998年
新潟記念(G3) 1998年
獲得賞金4億3,543万8,000円
登録抹消日1999年1月14日
死去2011年8月29日

度重なる屈腱炎に悩まされながら、8歳にして七夕賞、新潟記念、天皇賞(秋)を制覇し、不屈の闘志と呼ばれたオフサイドトラップもまた、屈腱炎から復活した名馬と言えるでしょう。

オフサイドトラップが屈腱炎を発症したのはデビューして7ヶ月後のラジオたんぱ賞の後でした。デビューから好成績を続け、将来の活躍が見込まれたオフサイドトラップと厩務員をはじめとした陣営の長い闘病生活が始まります。

何度も再発するオフサイドトラップの屈腱炎に、担当厩務員は休む事なくオフサイドトラップの治療とリハビリに付き添い続けました。

その結果、1998年の天皇賞(秋)にて、初のGⅠタイトルを手にします。担当厩務員をはじめとした陣営の惜しまない努力が報われたのは、最初に屈腱炎を発症した4年後、オフサイドトラップが8歳の年だったのです。

なお、同レースは快速の逃げ馬として一世風靡したサイレンススズカの故障で持ち切りでしたが、オフサイドトラップが成し遂げた8歳馬の天皇賞制覇という記録も史上初でした。

2024年終了時点で8歳で天皇賞を制した馬はオフサイドトラップを除けばカンパニーしかいません。

サンライズペガサス

生年月日1998年4月15日
性別
サンデーサイレンス
ヒガシブライアン
母父ブライアンズタイム
生産牧場ヤナガワ牧場
戦績24戦6勝
主な勝ち鞍産経大阪杯(G2) 2002・2005年
毎日王冠(G2) 2005年
獲得賞金3億5,374万3,000円
登録抹消日2006年1月5日
死去2019年8月22日

サンライズペガサスもまた、2度の屈腱炎の末、7歳にして重賞2勝をあげて見事復活を遂げた馬です。

サンライズペガサスの屈腱炎が最初に発症したのは4歳の頃。天皇賞(秋)でシンボリクリスエスとナリタトップロードに次ぐ3着と、惜敗した直後でした。

1年間の休養後の5歳時、休養前と同じレース、天皇賞(秋)で復帰し、その後のジャパンカップにも出走します。

しかし有馬記念の直前に屈腱炎が再発。またも1年間の休養を余儀なくされました。

じっくりと治療とリハビリを続け、7歳になり3月に行われた京都記念で復帰。復帰初戦こそ11着と結果は出なかったものの、続く中京記念では2着、産経大阪杯では勝利と、およそ3年ぶりの重賞制覇を成し遂げ、その後の毎日王冠も9番人気ながら勝利し、復活を遂げています。

屈腱炎と復活した名馬のまとめ

2025年1月時点で現役馬では大阪杯や札幌記念を制したジャックドールトや帝王賞を制したキングズソードが屈腱炎のため長期休養しています。

しかし「不治の病」とまで言われていた屈腱炎ですが、現在では治療法が確立されてきており、今回紹介したように、復帰後でも活躍を見せてくれる馬が存在するのも事実です。

彼らが復帰してきた時は、これまで競馬場で会えなかった分、思いっきり応援してあげましょう!

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